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2011年5月 7日 (土)

倭国の興亡29:[異説] 古代、半島南部は”倭”だった

 前回、紀元前後、半島の南部に金首露王が降臨し、駕洛国(伽耶諸国)を興したとする神話を乗せた。しかし、この伽耶を当時の中国はどう認識していたか。
 中国古代の神話・地理志である『山海經』には「蓋国は鋸にあり、大燕の南、倭の北、倭は燕に属す」とある。鋸は河北省から山東省にかけて散在する地名であり、倭が山東省の南部にあったという。又『漢書』「地理志」では楽浪海中に倭人あり・・・・その位置は長安の北から60度東にあって燕の方向にある」と言っている。また楽浪郡は『史記』「太康地理志」では河北省ラン河と山海関の間のことだともいう。『後漢書』「郡国志」で、楽浪郡の南にあった帯方郡は遼東にあったと記している。
 これらの記録からすると、”倭”はもともと中国の華南・華中沿岸地帯に分布したが、漸次北上し渤海湾に達して真番と称した。秦・漢に追われ沿岸伝いに韓半島西岸に達して南真番となり、さらに南下し南韓沿岸に到達して、弁辰諸国に次いで加羅諸国を作り、後に対馬・壱岐・筑紫に到達したという。

Photo  歴史学者・井上秀雄氏は後漢・魏・晋時代は南韓に倭があって、中国人にとっては列島より確実な存在だったとする。『魏志』「弁辰条」では韓半島南部の倭は「倭又は倭種」といい、九州の倭は「倭人」陳寿が区別しているともいわれる。
 日本列島の「倭」は『宋書』「倭国伝」によって、「倭国在高麗東南大海中」と書かれた487年に初めて海外に知られたのである。即ち、5世紀末までの倭とは伽耶(駕洛(カラ)、加羅も同じ)を指していた。(図は3世紀頃の伽耶地域
 このように紀元初め頃から、中国でも、半島でも伽耶と呼ばれる小さなクニグニが散在した辺りを「」と呼び、九州北部も含め一つの種族「倭族」がいたと考えていた。勿論未だ国は形成されず、国境はなく、同一文化圏であった。項を改めるが、半島が倭国の宗家で、九州は分国、あるいはその逆を主張する学者もいる。古代天皇、景行、成務、仲哀、神功がタラシヒコ、タラシヒメ呼ばれるのは、タラ(多羅)の彦、姫であり、クダラは旧多羅であると云われる。
 

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