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2011年5月29日 (日)

倭国の興亡34: 青銅祭器の変貌と王権の萌芽

Photo_3  北部九州のイト国が主体となって、先進技術や資材を得て強大化した”倭”国と緊張関係にあった1~2世紀のその他のクニグニでは、カミの依り代マツリとマツリの主催者の担う役割が変化してゆく。
 瀬戸内から近畿にかけての銅鐸文化圏では従来の30cm程度の小型銅鐸が大量埋納された後、銅鐸の呪力をさらに強化するため、40cmの中型、さらには50~80cmの大型になり、中には図示の滋賀・大岩山の近畿式銅鐸のような134.7cmのものもある。
 これは、中期の銅鐸が豊穣を祈るマツリの呪具であり、小共同体の保有で、あったのに対し、後期にはクニや国の規模で保有され、クニや国を守護するカミの依り代となって、大地に埋めることにより外部の敵を呪禁するカミに変貌したのである。即ち、北部九州の銅矛や銅戈型祭器と同じ役割を担ったのである。さらに、一歩遅れて、三河や遠江には三遠式銅鐸が創出され、政治的緊張がさらに東へ波及したと寺沢氏は主張されている。

Photo_2  尚、青銅祭器の埋納も、近畿地方はムラやクニのない辺境地帯に集中し、境界を呪禁する様相を見せる。ところが、弥生後期イヅモや中部瀬戸内では1世紀中頃の大量埋納後は青銅祭器を捨て去り始めた。そして図のような鳥取の四隅突出型方丘墓と突出部を持つ円丘墓(中部瀬戸内)の整備と巨大化が彼らのカミの依り代となった。

 マツリの演出者シャーマンや主催者首長の性格も変わった。悪霊と戦い踊る呪術師的なシャーマンは消え、ひたすらカミと交信し、信託をカミの代行者オウに伝え、オウが民衆に伝えることになった。卑弥呼の姿に近づくのである。オウは、カミの代行者として、カミを管理するものとしての性格を強く帯び始める。オウが神を体現できる人格として民衆の前に立つ、即ち王権の芽生え始めであった

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コメント

このシャーマンとは一体何なのか? とても興味があります。
この時代のマツリはどんな感じだったんでしょうか?
今の祭りのルーツはこの時代にまで遡るのでしょうか?
また、卑弥呼のように神の代行者が権力を握ってきた時にシャーマンはどうしてたんでしょうか?
いろいろと調べてみたい気がしますね。
根底にはずっと神に対する畏れがあるんでしょうか。
もしかしたら世界各国に共通していることかもしれませんね。

投稿: Y | 2011年5月31日 (火) 13時08分

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