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2011年5月21日 (土)

倭国の興亡32: 青銅器の隆盛と鉄器生産の飛躍

 紀元後、大陸・半島の戦乱に影響された列島、特に北部九州では、クニから国へと成長しつつある支配層はさらなる権力の拡大強化を図り、祭祀器や武器の導入、生産或いは分配を図った。
Photo  北部九州の殆どの地域で青銅器が生産され(鋳型出土)、中でもナ国中心部の須久遺跡(春日市)一帯は弥生最大の青銅器生産地だった。王墓出現の中期後葉には飛躍的な生産をし、百点を超す銅矛、銅鐸、鏡等の鋳型、坩堝、ふいご、銅・ガラスの滓など多数見つかっている。製品はここから各地やイキ、ツシマ国を介して半島南部まで及んでいる(写真は須久岡本遺跡)
 一方、瀬戸内以東の地域では弥生時代を通じてテクノポリス的遺跡はない。勿論、少量の原料調達から製造されたのもあるが、ごく小規模である。部族国家の規模や階級構造の重層化はナ国王の階級的位置や経済的富蓄積度とは、未だ格段の差があった。

 高地性集落の様相も、この後飛躍的に増加する鉄器の生産、流通に伴い様相を変え、恒常的な対外監視機能と防御性を帯びてきたとの通説がある。
 しかし、弥生中期から後期変革は鉄器の普及・流通によるとも言われるが、瀬戸内以東の鉄工具(鉄斧、鑿、鉋など)や武器(鉄鏃、鉄剣など)の増加も北部九州とは雲泥の差があり、北部九州との鉄器量の大差は王権誕生後の3世紀まで持ち越される
 尚、この時期東西流通ルートでは、瀬戸内ルートだけでなく、日本海ルートも注目される。鳥取県大山町と淀江朝に跨る妻木晩田遺跡、上寺遺跡で大陸製の鋳造鉄斧や鉄素材が大量出土し、イヅモ社会が盛んに鉄器生産を行ったことが明らかになった。これも壱岐対馬経由の交易とみられるが、近畿の首長が独自のルートを持った、或いは北部九州の鉄素材入手ルートが崩れたとみる説もあるが、考古学的には首肯する論拠はない。尚、このあたりの鉄に絡む神話が「出雲神話」であろう。

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