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2011年5月16日 (月)

倭国の興亡31: 半島との流通進展と分業進化

 国内争乱の緊張が高まる弥生中期末~後期初め(1世紀初め~後葉)に、半島と列島間の交易の南北ルートに加え、北部九州から瀬戸内、近畿を結ぶ東西ルートが加わった。魏志・倭人伝には半島・狗邪韓国と壱岐、北部九州との對馬国経由での交易が記されている。中国、朝鮮製の青銅器や鉄素材、ガラス素材、絹織物が壱岐や北部九州で、逆に倭製の文物が半島内で見つかることが恒常的な流通を裏付けている。
Photo  弥生中期以降には、一次高地性集落のネットに乗って、舶来品や鉄素材の物資や人が、瀬戸内ルートで東へ流通し、近畿を超えて、北陸、中部、一部は関東まで達している。その分布は環壕集落と一致する。
 但し、舶来品の量で、東部へ移入された量はわずかであり、瀬戸内諸国が北部九州に匹敵する量の舶来品を手にした形跡はない。尚、青銅器は自然銅の採掘がすでに列島内で始まり、後期以降青銅器は国内自然銅で賄った。
Photo_3  一方、土器や木器と違い、石器はその原料が限定されるので、クニ・国を超えて交易による入手の必要があった。サヌカイトは二上山、石包丁の緑色結晶片岩は紀ノ川や吉野川、粘板岩は丹波山系が供給地だ。玉生産に使う緑色凝灰岩や翡翠、碧玉は地方を超えて交易せねばならない。図は上からサヌカイト、黒曜石、ひすい。
Photo_6  ところが、北部九州ではさらに一歩進んだ共同体間分業前期後半から始まっていた。福岡・今山遺跡の玄武岩製石斧は完成品が九州一円に供給されている。イト国の繁栄やイト国王への権力集中は、こうした交換材の掌握による経済力であった。福岡・飯塚の石包丁が「嘉穂国」の経済的背景だったのも同じである。こうしたことから、舶来の鉄素材や鉄製武器なども、石器の流通システムに乗っていた可能性が高い

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コメント

「共同体間分業」なる聞き慣れない言葉があったので調べてみると・・・・・・、
共同体の間の価格差・情報差を前提とする分業。
例えば、山村と漁村という2つの村があったとする。
山村では猪肉が獲れ、漁村では魚が捕れる。山村では魚が欲しい。漁村では猪肉が欲しい。
2つの間に立つ商人は、山村の猪肉を漁村に、または漁村の魚を山村に持ち込み、自らがつける価格で売る。商人は、実際の価値よりも高い値をつけることで価格差を設定し利潤を得る。
とありました。合ってますか?
しかし、この時代からモノの流通によって経済の仕組みみたいなものができあがっていたのでしょうか?
単純に石器の原石を見分けていたことだけでも凄いと思ってしまいますが・・・・・。

投稿: Y | 2011年5月19日 (木) 10時07分

 Yさんへ。人間の欲望は太古の昔から変わっていませんね。欲しいものを持っている人から欲しい物を入手するに、対価を支払える範囲でものを得る。ということは紀元前後の列島ではすでに行われていたようです。共同体間分業はこの通りです。
 但し、対価支払いが出来ないのにものを欲しがる時、争いが発生した、即ち戦争が発生したようですね。

投稿: 山猿 | 2011年5月19日 (木) 15時27分

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