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2011年4月24日 (日)

倭国の興亡26:青銅祭器と大量埋納

 前2世紀後半以降の青銅祭器は前1世紀後半~1世紀前半には、地域によって違い生じる。北部九州では銅矛、銅戈など武器系の青銅器が祭器のシンボルとなる。対して、近畿周辺では銅鐸を祭器シンボルとした。又、山陰や瀬戸内は銅鐸と武器系祭器が共存した。
 国家を形成し、過酷な階級社会に入った北部九州と、未だ縄文的階層社会を引きずりながら祭祀的な統合を図っている西日本との違いである。

Photo_2  中期後半(紀元1世紀前後)になると、銅鐸が複数個埋納される例が増えるが、神戸・桜ヶ丘遺跡では14個、島根・加茂岩倉遺跡では39個という一括大量の埋納が出現する。
 この大量埋納の理由についても諸説紛々である。多分北部九州(ナ国とイト国)が中国と冊封関係に入った頃(紀元前2世紀)から、瀬戸内地方に緊張感が高まったが、前漢が滅亡(紀元9年)し、25年に興った後漢朝と新たな冊封体制に入り、ナ国が金印紫綬を賜った頃(57年)、西日本の北部九州にたいする脅威への焦燥感は極度に高まった。その表れが祭祀青銅器の大量埋納だという。
 五穀豊穣のマツリのための青銅器を大量に集積することにより、巨大な悪霊に対する辟邪の力が結集できるとして、大量の銅鐸や銅剣(島根・荒神谷遺跡358本もの銅剣)を埋納した。
 図の銅鐸は加茂岩倉出土のもので、因幡、伯耆の各地域の小共同体から持ち寄り埋納したと思われる。12個の鈕には×が刻まれ、×の辟邪つまり呪詛が込められている。これだけの青銅器生産力を持つイヅモも、この時点では政治的統合がなされず大共同体を超えていない。
 これに対し、北部九州ではすでに中期前半(前200年頃)にはクニ境には複数の武器系祭器が埋納され、特にナ国とその周辺には多い。福岡・住吉遺跡では11本の銅戈、銅矛埋納があり、対岸のクニを呪禁していた。
 尚、ナ国の胸肩(宗像)、粕屋のクニや早良国、イト国、マツロ国地域には、武器系青銅祭器の埋納がほとんどない。これは、紀元前後のこの時期、「倭国」というさらに大きな枠組みがすでに出来上がりつつあったことを示唆している。
 

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