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2011年4月 9日 (土)

倭国の興亡23: クニグニの変遷と消長

Photo  弥生前期末(前3世紀末)になると、列島に初めて青銅の鏡や武器を半島から入手し、副葬する墓が出現する。弥生型階級的首長の出現の証左である。
 真っ先に前期末の唐津や早良の玄海灘に面した平野で現れ中期になると、青銅鏡、武器、玉の3点セットを持つ首長墓が現れ、墓域も拡大し、墳丘墓も現れる。(写真は吉武高木遺跡出土青銅器他)。

 倭人伝でマツロ国と称された佐賀・宇木汲田遺跡は前期前半から後期後半(2世紀)まで続いたが、その初期(前3世紀前半)には小共同体の首長家族の墓だが、前3世紀末には青銅器を持つ弥生型首長墓となり規模も拡大する。マツロ国の王墓ともいえる。が、前100年頃には消え始める。そして、後期前葉には左岸に桜の馬場遺跡が出来て、マツロ国の王墓が再び出現するまでの200年間は王といえる権力者が消えるのである。

 博多湾に面した早良平野では、やはり前3世紀末、青銅器副葬の弥生型首長が出現。室見川左岸のクニで吉武遺跡群、右岸のクニでは有田遺跡群の王がいた。吉武には大石、高木の2遺跡もあり、甕棺群には玉類、銅剣類等、多数の副葬があり鏡、武器、玉のセットがそろった意味は大きい。ここは戦闘の犠牲者が多いが、ここも後には王の権威も弱小し、早良国王墓といえるものがない。

 佐賀平野の吉野ケ里遺跡は、巨大な墳丘墓に副葬された半島製銅剣や管玉の数々は弥生型王墓にふさわしい。しかし、周辺にも多くの遺跡が集中し、佐賀平野は基肄、養父、三根、神崎、佐嘉、小城、杵島の郡に相当する7つのクニからなる。青銅器の副葬は玄界灘より遅れ、中期初めからである。吉野ケ里は神崎のクニの中心である。しかし、副葬品を見る限り他のクニと変わらない。勿論半島製の銅鏡や玉を持つ王墓である。
 しかし、この時期「国」の王墓や王族墓といえるのは、玄界灘沿岸に限られている

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