« 百花繚乱ー花木編 | トップページ | 百花繚乱ー草花編 »

2011年4月20日 (水)

倭国の興亡25: 近畿のクニグニと権力の胎動

 北部九州に王墓が出現したころ、近畿では、四周を溝で囲った方形低墳丘墓弥生前期中頃出現している。方形周溝墓は半島ルートで稲作と共に前3世紀初め、まず北九州に渡来し前3世紀末には近畿とその周辺に普及中期後半には関東まで広がり、近畿では家族墓として定着した。
 戦争のなかった北部九州以外では、中期前半期までの小共同体の首長の方形周溝墓には副葬品もなく、特に隔絶もなく、一般墓群の中に埋没している。

Photo  前期末頃(前200年頃)から、大阪や兵庫で首長の大型方形周溝墓が現れる。そして、戦争の跡が見られる中期後半(前1世紀~1世紀前半)になると、大型方丘墓も現れ、大阪・加美遺跡の1号墳(写真)は周溝を含めると1辺40mもの大きさで、3体の女性は青銅の腕輪やガラス製勾玉を付けていた。多数の土器などから1世代、首長とその家族1代限りの墓であろう。これは尼崎・田能遺跡と共に墳丘が大きく、大きな共同体を統率する大首長(オウ)へと成長していたと見られる。しかし、北部九州のような副葬品もないのは、大陸との直接外交ルートもなく、高価な副葬がされるほどの権威もなく、政治的にも階級的にも成長していなかった

 中期後半(1世紀)の瀬戸内地方では、方形の区画に多数の埋葬土壙を持つものが出現し、中国山地から山陰では四隅突出型方丘墓が出現し始めたが、いずれも小共同体の首長であり、王は未だ未成長である。

 弥生型首長が居住する環濠集落内には、オウの居住区域と祭祀空間が生まれる。勿論北九州以東の西日本各地では、こうした変化は中期後半(紀元50年頃)までゆっくり進行し、環濠集落そのものが前期後半(紀元前250年頃)にならないと出てこない。
 北部九州(吉武高木、吉野ケ里)の王族墓では巨大高殿が建てられ、祖霊が祭られ、諸々のマツリゴトが執り行われた中期後半には大阪・曽根遺跡、加茂遺跡、奈良・唐古・鍵遺跡でも大型建物が検出されている

|

« 百花繚乱ー花木編 | トップページ | 百花繚乱ー草花編 »

古代史、邪馬台国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/534272/51443536

この記事へのトラックバック一覧です: 倭国の興亡25: 近畿のクニグニと権力の胎動:

« 百花繚乱ー花木編 | トップページ | 百花繚乱ー草花編 »