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2011年4月16日 (土)

倭国の興亡24:王国の萌芽と王墓出現

 前3世紀末に北部九州に出現したクニグニや小国の中で、突出した権力を備えた王が出現する。福岡平野の」国と糸島平野のイト」国だ。
 さらにこの両国を飛躍させたのは、当ブログ12回で略記したように、東アジヤの状況変化がある。中国・前漢王朝が前2世紀中頃から、周辺地域へ領土拡大を始めた。中華思想により周辺異民族を東夷、西戎、南蛮、北荻と呼び、周辺未開民族は入貢謁見し漢に同化した。冊封体制をとり、楽浪郡を半島及び倭の支配窓口としたので、倭が漢帝国を中心とする東アジヤに政治的に参入する画期的な段階に入ったのである。
Photo_2  まずイト国。江戸期にすでに怡土・三雲遺跡で、銅剣、銅鏡(35面)、玉が見つかり、膨大な副葬品を持った王墓の存在が知られていた。後の調査で、中期末(1世紀初め)の墳墓だと分かり、大量のマツリの土器が出土し、墳丘が確認され、イト国の王であり、倭を代表するほどの王の中の王であるといわれる。
 一方ナ国の王墓は、ナ国中心の福岡・春日市の須久遺跡群である。大共同体(クニ)に匹敵する規模であり、中期後半以降(紀元以降)青銅器、鉄器、ガラス製品が生産され、青銅器の鋳型は福岡平野の7割がここから出土し、弥生最大のテクノポリスと称されている。これを背景に中期末(1世紀)には須久岡本遺跡の王墓が出現している。巨大な板石の下の甕棺から前漢鏡約30面、銅矛、銅戈、銅剣、玉が出土。ここでも大きな墳丘墓出土の可能性がある。
 これら二人の王が前漢と交渉を持ったのは紀元前の世紀末で、紀元後に没している。イト国はイキ(一支)、ツシマ(対馬)とイト国連合を、ナ国は粕屋や胸肩などとナ国連合を形成し、二国は共存したと思われる。

 中期後半(前1世紀~1世紀)の北部九州各地の平野や盆地ごとに「国」ごとの王が誕生する時期であり、それぞれの王族の墓からは前漢鏡や銅器が出土する。そして、それらはナ国王、イト国王と疑似冊封体制を築いていたようである。この時期、北部九州社会の階級分化と首長層内の階層分化は想像以上に進んでいたといわれる
 

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