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2011年4月 4日 (月)

倭国の興亡22: クニの形成と戦争

 列島に戦争が始まったのは弥生時代からといわれる。縄文期にはムラや集落間の諍いや抗争はあったが、武器をもっての戦争の跡はない。
 前3世紀の弥生前期から中期末の1世紀前半までに、北部九州ではいち早く国家形成への歩みが始まった。その中で、福岡スダレ遺跡では、石剣が胸椎に突き刺さった人骨が出ている。
 玄界灘周辺地域では、水田稲作伝来後間もないころの犠牲者も見られ、耕地や水争いなどが引き金になったと思われる。古いのは、前4世紀(縄文晩期末)の福岡志摩町・新町遺跡、宮ノ前遺跡は渡来人のムラだったが、4人の犠牲者には半島系の石鏃が刺さっていた。前期の前半期(前3世紀前半)になると、戦いの犠牲者は玄海灘と響灘周辺に集中する。戦いで首を獲るという風習も含め戦争という社会的行為も伝来してきた要素なのである。

 ところが、前3世紀後半から前2世紀になると犠牲者は佐賀平野、筑後平野、中津平野へと広がり、更に熊本平野や壱岐、平戸島にも及ぶ。この時期の吉竹高木遺跡に副葬された銅剣や銅矛などはその切っ先が折れていた。
Photo  中期中頃から末になると、玄界灘沿岸平野部での犠牲者は殆ど見られず、逆に筑後平野、佐賀平野の内陸部で急増する。戦いが周辺部に拡大し、かつ熾烈になっている。首のない人骨(写真:吉野ケ里遺跡)や首だけという無残な犠牲者が多い。筑紫野市・長岡遺跡は多数の惨殺死体が出ている。この時期には瀬戸内や大阪沿岸部での犠牲者も出始めている。
 特に、伊都国や奴国があった地域では、熾烈な戦争が繰り広げられ、王権への道を先んじて歩み始めていた。福岡平野の丘陵地には弥生前期後半から中期にかけ、集落と墓地がひしめき合い、慢性的な食糧不足と水・土地争い、渡来人からの情報入手、不慮の災害、凶作時の略奪など、戦争を生む条件が煮詰まっていた

 こうして列島に階級的首長が誕生したのは玄界灘地域で、弥生前期後半の頃であろう。そして、北部九州に最初に階級的統合された「クニ」こそが列島における「国家」誕生の姿であり、この国家形成には戦争が必要な条件だったのである。

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コメント

この時代に発生した争いの原因は、今も変わらず、ですね。
人間という生き物は、他の動物と同じように、自分と身内を守るために、食料や土地を奪い合って来たんでしょうね。
最近は、世界各国で水が貴重品になっていると聞きます。
日本の大地が生み出す、美しく美味しい水は、やがて石油などの資源と同じように奪い合いになるのでしょうか・・・・。

投稿: Y | 2011年4月 6日 (水) 09時54分

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