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2011年3月18日 (金)

倭国の興亡18: 中国の東方侵入

 紀元前4~5世紀から紀元前後、中国東北部に乱立した諸国の戦乱は半島及び列島に大きな変化を引き起こす引き金となった。

 前1050年「商」を滅ぼした「西周」首都:西安)は前770年頃より春秋戦国時代に入り、前403年「晋」「韓」「魏」「趙」の三国に分かれ「秦」「斉」「燕」「楚」と共に戦国の七雄といわれた。この頃から朝鮮半島への逃亡民や流浪民が多く、南下した。それに追われて半島からの渡来人が増えたのである。
Photo  前256年、秦が周を滅ぼし、前221年秦始皇帝が中国を統一し、郡県制をしいた。前206年は漢の劉邦が秦を滅ぼし、前202年には楚の項羽が敗死し、劉邦が帝位について漢王朝(前漢)が始まった。そして前154年の呉楚七国の反乱で諸侯の勢力を抑え七代皇帝・武帝がようやく本格的な対外政策に取り組んだ
 武帝は北方の匈奴を攻撃し、対決拠点を敦煌に置いた。張騫を西方の大月氏国に派遣したのがきっかけで、シルクロードによる交易を開いた。南方はベトナムも抑え、紀元前107年朝鮮半島に侵入し衛氏朝鮮を破り、紀元108年楽浪、臨屯、真番三郡を置き、翌年その北方を攻略、玄菟郡をおいた

 楽浪郡は衛氏の本拠地・平壌(一説に遼東とも)の辺りに置かれた。真番と臨屯は前82年に廃止され楽浪郡に組み入れ、玄菟の一部も楽浪に合わせて、楽浪は戸数6万を超す有力な郡となった。
 周辺の異民族の首長が交易を求め楽浪郡に赴いている。だから、国際的文化が育ち、首都周辺の遺跡や楽浪漢墓からは豪華な中国製の副葬品が出土している。
 中国正史『漢書』「地理志」に、古代倭国人も楽浪に赴いたことや100余国に分かれていたことが記されている
 

 

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