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2011年3月14日 (月)

倭国の興亡17: 渡来人(弥生人)のもたらした文化

 渡来人が携えてきた稲作技術や磨製石器などの農耕具以外にも多くのものをもたらした。箇条書きにすると、
1.金属器。不純物の少ない鍛鉄(鋼)を使った鉄斧、銅鑿、両翼式銅鏃、鉄鏃、鋳造の鉄斧などが北部九州から出土している。
2.無文土器。半島南部の無文土器と形や製作技術がそっくりな土器が西日本に広く分布する。
3.支石墓。無文土器文化を特徴づける墓制で、碁盤型が半島南部に、テーブル型が北部に集中している。列島ではテーブル型はなく、縄文晩期のものは海灘に面した地域及び有明、天草諸島に及んでいるが、福岡以東には全く波及してない。西北九州だけの特異な墓制で、半島南部の渡来人によるストレートな伝来を推測させる。
 縄文晩期前半の支石墓が畑雑穀農業の痕跡がある火山灰土壌地帯(島原、熊本平野)と一致し、晩期後半から弥生前期初めの分布が玄海灘沿岸と有明海沿岸の平野部との二つに分かれて波及している。人骨でも見られる二つのタイプは渡来ルートに二段階、二ルートあったことの証拠といえる。
4.環濠集落と松菊里型(半島)竪穴住居。環濠集落の中に半島南部からの渡来人が分離して同居していた(福岡・江辻遺跡:最古の環濠集落に11軒の松菊里住居)。以降、松菊里型住居は弥生中期前半まで西日本各地の弥生集落にその痕跡をとどめている。

 渡来した文化の定着は、板付Ⅰ式(前4世紀後半)という土器様式でみると、玄界灘沿岸地域を核とした北部九州に限られた地域にのみ分布する。初期の多彩な穀類が集中した列島での起源地であり、弥生文化の花開いた地である。
Photo  続く板付Ⅱ式(前3世紀頃)、遠賀川形土器(写真)とともに水田稲作環濠集落は東へと拡散してゆく。響灘沿岸、筑後平野、佐賀平野などの環濠集落では、渡来人たちの生活エリヤが確保されていた。
 瀬戸内以東の環濠集落は社会的な成熟につれ成立してくる。この時期、遠賀川形土器は伊勢湾地方まで及んでいるが、ここで足踏みする。環濠集落の出現に至っては、弥生中期頃(紀元前後)大多数は後葉になってからの出現である。弥生時代、東北にはついぞ環濠集落がつくられることはなかった。

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