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2011年3月10日 (木)

倭国の興亡16: 稲の伝来ルート

 稲の起源はかって中国雲南省説が風靡したが、最近は長江の中・下流域説となった。下流域の浙江省(前約5000年)や中流域(前約7000年)の地層から稲作の遺跡や米、籾、鍬、鋤ほかの農具類がほかの雑穀とともに発見され、また前約4500~前4000年の水田跡も見つかり、稲作の起源地と目されている。
Photo  この稲の伝来ルートもいろんな説があるが長江下流域から黄海を超え、半島南部西岸を経由し北部九州へ到達する(図A)コースが一番有力である。勿論これに限定されず、下流域から東海を超えて九州西北部に(図B)、或いは華南地方から南西諸島経由伝来した(図C)こともある。其々の遺跡から稲作の痕跡が見つかっていることからも考えられることである。
 尚、列島に来たジャポニカ種と同じ稲(DNA分析で確認されている)が半島に来たのは、半島の忠清南道と慶尚南道の遺跡で、無文土器時代前期~中期にかけての水田跡が発見されていることから、前八世紀~前五世紀の頃とされている。その頃が列島での縄文晩期後半の水田の直前でもあることから、Aルートを通じての稲の伝来が最も有力と考えられるのである。

 稲の伝来以降、稲作農耕で安定してコメ生産ができたかどうかについては必ずしもそうではないと思える。天候不順や台風の発生などによる不作時の食料確保対策と思われる、ドングリ貯蔵用のドングリ・ピットが多く出土していて、五世紀頃まで続いているのを見れば、その頃まではまだまだ自然環境に支配される稲作技術だったことがわかる。

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