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2011年2月26日 (土)

倭国の興亡13: 縄文期の韓半島

 韓半島の神話時代の実態は、やはり遺跡発掘などから類推するより他ない。
旧石器時代(1万5千年前まで)は列島と同じく、集団生活を営み、血縁氏族社会を形成し、狩猟や漁労・植物採集により食料を得て、火を使用していた。
 紀元前5000年頃から、韓半島は新石器時代(櫛目文土器時代)に入った。列島の縄文土器に相当する櫛目文の入った半島独自の土器文化を持っていた。紀元前1000年位までを3期に分け、2期と3期の層からは日本の縄文土器が発見され、列島との往来があったことを裏付けている。

Photo  人は水辺を生活エリヤとし、漁労が主な生活手段だった。後期には簡単な原始農耕が行われた様だ。櫛目文土器終末期には、幾何学的文様が姿をけし、「無紋土器」へ移行する。壺、甕、高杯、鉢などがある。紀元前1000年頃より、青銅器時代が始まる。銅剣(遼寧式)、銅斧、銅鑿、刀子などの工具類・装飾品がある。(図は典型的な無紋土器、紀元前4-3世紀)。
 前1000年後半には、遼寧式を継承した細型銅剣に伴い、銅鐸、銅鈴など宗教的器具類、そして鉄器が登場して、青銅器は儀器・祭器のの性格を強める

 青銅器時代に入り、母系氏族共同体から、徐々に父系氏族共同体へ移行し、家父長的な家族集団が形成されるようになった。そして集団には支配者と被支配者の関係が形成されて行き、権力者が育っていった
Photo_3   巨大な支石墓が出現し、権力を握った者の墓は権力者の象徴となった。長さ8-9m、幅6-7m、重さ数十トンの蓋石は集団を支配する権力者でないと造れない。支石墓は韓半島全域に分布している。
 蓋石だけが見えて、埋葬部が地下の南方式支石墓は九州の北西部を中心に点在しており、縄文時代の終わりごろから弥生時代中期にかけて伝播したといわれる。当然半島からの渡来人の墓である可能性が高い

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