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2011年1月19日 (水)

倭国の興亡4: 序論3 日韓の風土と信仰

 半島南部の伽耶国があった慶尚北・南道の一帯は日本に非常によく似た景観で、植物の植生も日本で見られるものが多い。特に飛鳥地方は新羅の古都慶州によく似た風景だから、渡来者がここに都を定めたのも不思議でない。自然風土がよく似た環境であれば、弥生期に半島から列島に相当数の集団移住があってもおかしくはない

 このようによく似た風土の中で育まれた日・韓の信仰と宗教を見てみよう。
 日本の神道縄文人の精霊崇拝から発展した。すべての自然現象は神々の働きだとし、自然界に色んな神の存在を信じ、動物も人間も霊魂をもち、死後神になるとした。自然神「磐座(イワクラ)信仰」、卑弥呼の「シャーマン」、「呪術」なども派生した。後の仏教などの外来信仰も、精霊信仰と融合しつつ今日に至っている。
 一方半島にも精霊信仰があった。また三国志東夷伝には古代の高句麗や濊や韓で、天神と地神を祭っているとある。日本の天神(アマツカミ)と国神(クニツカミ)の発想と似ている。新羅では6世紀に花郎(ファラン)の習俗が発展し、山深い地で山上と交霊した人を尊ぶ。これは日本の山伏に代表される山岳信仰にも似ている。

 そんな中、中国より372年に高句麗に伝わった仏教は、4世紀以降朝鮮半島に普及したが、固有の信仰との対立はなく、新羅では花郎とも融合した。しかし、高麗が立つと教が護国鎮護の法とされ多くの寺院が建ち、有力寺院は広い寺領を有するなど、固有信仰は大きく後退した。
 ついで李朝朝鮮が儒教を国教としたしたため、14世紀以降は寺院の地位は大きく後退し、社会の指導原理として儒教を第一とした。
 尚半島ではその後道教なども出たが、教で王家の支配を正当化することはなく、王家を支える宗教がなかったことが歴代の王朝を短命にした

 日本への仏教の伝来は百済から5世紀の初め新羅を経て「豊の国」に伝来したのが始とされる。但しこれは釈迦ではなく、弥勒菩薩を拝む弥勒信仰である。公式には552年百済の聖明王が経典と仏像をもたらした事になっている。

 以上我等の祖先である弥生人は半島から渡来し、縄文人と混血しながら倭人となり、生活文化や精神文化も含め、その後継続的な交流を重ねながら、「倭国」を形成していった。この事実から日本・朝鮮同祖論もとなえられた。

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