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2011年1月 7日 (金)

倭国の興亡ー半島との交流史ー1:はじめに

 これまでの古代史関係のシリーズ連載で、古代史を読み漁り、日本の古代は未だ不明の事柄が多く、諸説紛々たることを知りました。今回はこの古代の日本即ち「倭国」についての通説や異説を紹介し、古代の謎に挑んでゆきます。

 中国の史書に、紀元1~2世紀の頃の「倭」という蕃夷のクニが朝鮮半島(以下半島)の更に先にあると(聞いて)書かれたのが、最初に歴史に登場した「倭」です。
 以降、三国志の「魏志」東夷伝倭人の条などに2世紀末から3世紀半の「耶馬壹国」女王卑弥呼が都を置いた「倭」国があったと書かれています。しかし伝聞に基づいて書かれたもので、何処まで真実かは判っていません。未だに「耶馬壹国」の所在場所もわからないのです。
 特に「謎の四世紀」といわれる4~5世紀にかけての「倭」の状態は中国・韓国の史書にも出ておらず殆ど判ってないのが現実です。
 日本の正史として書かれた「日本書紀」によっても、いろんな事が類推できます。しかし、これは編纂した当時の王統系譜の正当性を裏付けるために書かれた書物で、且つ当時の半島や中国の史書を都合よく利用しており、「史実」といえるかどうか疑わしい部分も多いのです。

 しかし最近、土地開発や道路・鉄道工事などで古代の遺跡発見・発掘が大規模に行なわれるようになり、列島の「史実」が少しずつ明らかにされ、過去の歴史観や学説が修正されつつあります。その結果これまでの常識が覆され、逆に謎が深まることも多いようです。だからこそ「古代史」が面白く古代史マニヤも多いわけでもありますが・・・。

 そんなことで、今回は「倭国の興亡」-半島との交流ーと題して、列島誕生から倭国誕生、そして半島との攻防や交流による倭国の盛衰を経て、倭国の滅亡即ち「日本国の誕生」となるまでの興亡史を追って見たいと思っています。

 どうぞ、末永くご愛読頂き、誤り指摘やご異論など頂戴できれば幸甚に存じます。

 

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コメント

あけましておめでとうございます。
いよいよ次のシリーズに突入ですね!
「歴史は繰り返す」と言いますが、この辺で人は歴史を振り返ることが必要なのかなと思います。
今年も楽しみにしてます!

投稿: Y | 2011年1月 7日 (金) 15時51分

 余り生真面目な内容では面白くないので、「異説」として妙な古代史の意見を持っている方の珍説、奇説も挿入してゆきます。
大方が九州の方で、「倭国は九州にあった。倭国の都は筑後から熊本にかけて7世紀まで存在した。勿論半島南部も倭国だった」とするものです。お楽しみに。

投稿: 山猿 | 2011年1月 8日 (土) 09時16分

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