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2011年1月11日 (火)

倭国の興亡2:序論1 違う視点から

 最初に、倭国の地理的範囲に触れておきます。倭国と言えば何となく「日本列島」をイメージしますが、古代には未だ倭国という「国家」は存在せず、列島の一部の地域が倭と呼ばれていたのです

 未だ大陸と地続きであった列島には、大陸の人類が移り住んだと考えられています。旧石器時代を経て、縄文時代から弥生時代になって、遊動生活から一定の場所に定住する生活に変わり、小さなムラとなり、更に集合したクニ(集落)が形成されていった。
 このクニグニは互いに交流やせめぎ合いを続けて、朝鮮半島南部と九州北部を行き交いながら、一つの文化を持った生活圏を形成していった。それが徐々に四国、中国地方西部まで広がり、この地域が『倭』と呼ばれるようになったのです
 勿論、列島には縄文時代から、南は琉球、奄美、北は東北まで縄文人がいたし、それなりの文化を持っていたことが最近の遺跡発掘からもわかってきました。しかし、これらは「倭国」とは別の文化圏であり、「倭」との交流や支配は及んでいません。
 だから、この「倭国の興亡」は「倭」と称された地域(のちには、近畿、北陸、中部まで及ぶ)に、8世紀初頭に「日本」という「国家」が誕生するまでの盛衰を描きます

2_2  このことを視覚的に納得するには左図の如く、日本を中心にして見たり考える習性から抜けるため、大陸、半島から客観的に列島を眺めてみてください
 この列島の西部と半島の南部を含めた地域は非常に近く、古代共通の生活文化圏だった「倭」だといっても何の不思議もない感じがしませんか。又、中国とも大変近いことが判ります。これが彼等の視点です。図:大陸から見る列島地図(講談社「日本の歴史」00巻より)

 

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コメント

地球儀の効能がよくわかりますね!

投稿: 自遊人 | 2011年1月12日 (水) 23時47分

逆からものを見るっていうのは、おもしろいですね。
非常に納得させられます。
この時代は、どうやって大陸と行き来していたのでしょうか?

投稿: Y | 2011年1月13日 (木) 10時12分

逆からものを見る、即ち相手の立場に立って物事を考えたり、見たりすることは人生にとって非常に重要なことのような気がします。
 古代半島との行き来はやはり丸木舟でしょうね。対馬、壱岐経由で九州北部、山口へ到達したでしょう。遺跡から丸木舟はよく発掘されています。尚、北部九州の人間は、魏志倭人伝にあるように海洋民族です。海よりも山のほうが怖かったかもしれません。

投稿: 山猿 | 2011年1月13日 (木) 11時09分

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