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2010年9月 1日 (水)

古代史の謎108:藤原道長の真実

 「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思えば」。この歌は、寛二2年(1018)3女の威子が後一条の皇后となった宴席での道長の即興の歌である。謂わばお遊びに詠ったものであるが、如何に絶頂期に在ったとはいえ、その驕り高ぶりには批判も高かったとも言われている。この話が道長評価を二分する象徴であろう。
Photo  藤原一族が隆盛を極めたころ、娘を後宮に入れ外戚となり、皇子が生れば摂政として、成人後は関白として後見する「摂関政治」を行なったのである。
 道長は長女・彰子(ショウシ)を一条天皇の中宮に、二女妍子(ケンシ)は次に即位の三条天皇の中宮として、その上三女威子が、彰子の生んだ外孫・後一条の中宮に冊立されるという、威子による後宮対策の総仕上げを行なったのである。
 この他、道長の専横ぶりや権謀術数を尽くしての飽くなき権勢欲が『大鏡』に記されており、それが信じられてきた面があるが真実はそうではなかった

 戦後の研究では道長は決して独裁的ではなく、天皇や公卿会議の意見によく耳を傾け、それを巧に政治に反映させた(道長自筆の日記「御堂関白記」による)。その政治家としての手腕と人柄が、摂政・関白の地位を自分の子孫だけが継ぐという藤原氏の黄金期をもたらしたとされだした。
 先の御堂関白記の他、「小右記」「権記」等貴族の日記の研究が進み、「大鏡」の記述には過ちが多く、道長の善政が裏づけられるようになった。150年近くの摂関政治での制度疲労とも云うべき時期に、型破りの強いリーダーシップを持った、清濁併せ呑む道長はニューヒーローだったようである。
(写真は道長の別荘を受け継いで藤原頼道が創建した「平等院鳳凰堂」

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コメント

古代史の謎、108回達成おめでとうございます!
今回の藤原氏の例にもあるように、これまで歴史で習ってきたことが覆される研究が進んでいておもしろいですね。
真実は一つなのかもしれませんが、観る方向によって真実が変化するということなのでしょうか???
しかし、歴史は繰り返すと言いますが、これからこの国はどうなっていくのでしょうか・・・・。

投稿: Y | 2010年9月 2日 (木) 09時54分

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