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2010年8月 5日 (木)

古代史の謎103:「格式」が律令制を完成させたか

Photo  「格式」はキャクシキ。「格」とは、単行法令「式」とはこれら法令の施行細則のこと。
 従来、8世紀に完成した律令制度9世紀はじめ衰退、崩壊期に入ったとされたが、最近は律令制の延長線上にある”古代国家の完成期”との見方が有力になった。これを推進したのが「公卿による合議制の確立」「格式による法典整備」だという。

 律令制下、8世紀では公卿(左・右大臣、大納言、中納言、参議等の議政官)が6人で国政審議をした。平安に入ると公卿は20人以上で、各種案件は弁官を通じて公卿に上申・決裁した。重要な物は天皇の裁可をうけ、差し戻されると公卿で合議し、再裁可を受けた。
006  天皇の裁可は大極殿だったが、内裏を出るには相応の儀式、手続きを要したので、これを効率化し内裏内での裁可となった。且つ、奏上も、直接の奏請ができるようにした。

 法典整備も進み、弘仁11年(820)に完成した「弘仁格式」があるが、まだ不完全だった。のち、貞観11年(869)に「貞観格」が編まれ、最終的に集大成されたのが「延喜格式」である。延喜5年(905)に編集が始まり、醍醐天皇が自ら編纂したといわれる。
 法典整備の推進には官僚群が活躍し、その核となったのは菅家三代といわれる菅原清公、是善、道真達である。
 9世紀は日本的律令国家の完成に向けた大きな転換期にさしかかった時期と見られ、摂関政治もこの結果出て来るのである

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