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2010年8月 1日 (日)

古代史の謎102:真言密教が日本仏教を革新できたのか?

Photo_2   前回、空海による真言密教が旧来の南都六宗(三論・法相・華厳・律・成実・具舎宗)を凌駕し、「国家仏教」となった旨記述した。しかし、従来のこの”通説”に最近異論が出ている。
 即ち、空海真言密教の真言宗を国家仏教の一部として定着させたに過ぎず、他の各宗派と共に、夫々独自性を持ちながら、共通基盤に立って共生・共存したに過ぎないと見る。
その象徴が、東大寺二月堂の「お水取り」(修二会)だという。修二会は密教的要素が強い悔過会が起源であり、呪師の作法は真言密教修法の基本に沿ったもので、礼堂での法華懺法も天台宗の儀礼である。又講説・論議も神祇的要素を含み、真言密教請来以前より行なわれていた「お水取り」は諸宗派・神祇要素の融合した日本仏教の象徴であるとする。

 元々6世紀に伝来した仏教は外国文化の受容という朝廷権力のシンボルだったし、思想教学としては7世紀にようやく三輪宗、法相宗の「宗」が確立され、その学問的高揚の最後にやっと本格的教学が空海によって導入されたのであった。
 尚、空海が帰化人の子孫最澄蝦夷の子孫である事も大きな要因で、二人は大和民族中心の奈良仏教に背を向け、密教をめざしたという説もある。
 何れにしろ、奈良時代より密教的行法は南都の基礎学ともなっており、山林行法などが行なわれ、密教的要素が諸宗派の共通基盤でもあった。よって、空海は奈良仏教と断絶したのではなく、それを継承発展させたと見る。

 一方、最澄は空海とは晩年対立し、仏教会で孤立化する。しかし、空海が奈良仏教に埋没したのに対し、最澄亡きあと、弟子の円仁、円珍らにより、密教との論理的融合が解決して、天台教学が確立し、結果的には日本密教の伝統は天台宗が支えたのである。

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