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2010年8月23日 (月)

古代史の謎106:海賊を制圧したのは純友か

 東国での将門、西海の純友による反乱は、実質的には「僦馬の党」と称される富豪層が暴徒と化したものだとの説がある。
Photo_3  即ち、税を運搬管理する富豪層の不正着服が横行し、その一部を藤原一族に貢進し、その家人となっていた。ところが、菅原道真の税制改革と財政構造の転換が進み、その旨味がなくなった富豪層が反乱を起こした。将門は彼等にうまく利用されたとも見られるが、東国の反乱は10年くらいで終息した。

 一方承平期(931-938)には瀬戸内の富豪層も海賊となる。彼等は天皇の親衛隊だったが、律令下の宮廷儀式用の親衛隊も、制度改革により不要となった。それで瀬戸内諸国からの進納米を得ていた彼等への支給が、役職剥奪と共に閉ざされたので、進納米徴収を名目に海賊行為に出たのである。
Photo_4  政府はこの反乱に苦労したが、承平6年(936)海賊30余集団2500人余が一斉に降伏した。それは新赴任した伊予守、紀淑人の人柄ともいわれるが、実は海賊平定に伊予入りした藤原純友の説得工作が効を奏したからだという。これは最近の見解だが未だ謎の部分が多い

 純友が海賊の首領だというのは、「日本紀略」に書かれているからであり、「扶桑略記」にはその記事はない。状況から見ても、最高殊勲は純友だと思われるのに、恩賞はなかった。この不満が天慶2年(939)の純友の反乱に繋がったとも言われる。
 200年続いた律令国家は、寛平・延喜の国政改革では、改正に反発した反乱が各地で発生しそれを鎮圧する中から武士が出現してきたのである

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