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2010年6月 1日 (火)

古代史の謎88:律令制の崩壊か、完成か「墾田永年私財法」

Photo  律令制は土地を国家の所有(公地公民)とし、戸籍登録した総ての公民には「口分田」が班給され、収穫に課税する税制を確立した。死後は口分田を国に返納した。これを班田収受法という。(写真は戸籍台帳の一部)

 大宝律令は中国の法体系に若干の修正を加えただけで、施行後様々な不具合が出た。税収増加のための田畑の開墾推進のために、「墾田は三世代の間、又荒廃田の再懇は本人一生の間、公収(返納)しない」という三世一身法が公布された。更に、貴族、豪族等の土地私有の強い欲求を拒否できず、ついに天平15年(743)土地私有を認めたのが、「班田永年私財法」である。

 従来、この三世一身法、班田永年私財法により、公地公民制が崩壊したものと解されてきた。しかし、最近は、吉田孝氏の研究により、これほど長い間誤解されてきた法令も珍しいと言われる様になった。これまで何故、律令制崩壊の元凶の如く見られたのか不思議であり、大きな謎である。
 逆に、律令制を完成に導いた法令であるとする現在の説を以下略記する。それは、中国では十分な口分田がある上、収公されない「永業田」の所有が認められていたのに対し、日本の場合は口分田に必要な面積は、開墾田をいれても不足していたことである。折角開墾しても収公され開墾意欲を削いでしまった。

 そこで、田地の所有限度を定める均田制が模索され、その最初の法令が三世一身法であり、墾田永年私財法はそれを改正するものであった。
 
そして、班田図が全国的な規模で作成されたのは、天平14年(742)が最初である。より正確な土地掌握の過程において、開墾地の所有をめぐる画期的な法令が出されて田地の所有限度が具体的な数字で明確に規定され、大宝律令施行から42年にしてようやく中国の均田制に相当する制度全体の取り入れに成功したといえる。即ちこれで中国の律令制を継受したのであり、律令制の崩壊と見るのは誤りと分ったのである
 
開墾地を含めた田地を掌握し、律令国家による土地支配はより強固になったのである

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