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2009年10月 4日 (日)

古代史の謎35:出雲王国の存在証拠

Photo  前回の荒神谷遺跡の直ぐ近くの加茂岩倉遺跡(島根・斐川町)は平成8年に農道工事で偶然発見された。その後の2年間にわたる調査の結果、考古学史上最多といわれる39個の銅鐸が出土した。

 この出土状況が特異であったのは、規則的に配列され、大半は鰭を立てて横たえた状態にされており、小さいのは大きい銅鐸の中に入れ子にしてあった。
 このような事例は初めてであり、何らかの特別な意味を持った埋納であると思われる。

 出土した銅鐸は文様の特徴などから、大半は河内や大和、和泉などで製作されたものと見られるが、出雲で製作されたものも見つかっている。銅剣の出土とも合わせ、出雲が青銅器文化の中心地であったことが推定され、且大和との交流も裏付けている(弥生時代後期か?)。

 尚、近くに磐座(いわくら)「大岩」があるため、岩倉と名づけられたのであるが、この大岩は御神体石なのである。即ち出雲のカムナビヤマである仏経山にあった矢櫃神社(出雲の首長神を祀る)の磐座群のひとつである。神話の世界(出雲国風土記)と史実が密接に結びついている遺跡なのである。

 

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