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2009年10月14日 (水)

古代史の謎37:吉野ヶ里環濠集落

Photo  吉野ヶ里遺跡は佐賀・吉野ヶ里町と神崎市に跨る段丘上にある複合遺跡(旧石器時代~中世)だが、代表的なのが広大な環濠集落遺跡(弥生前期~後期)である。内外二重のV型空堀と土塁、城柵に囲まれた40haの集落遺跡で、南部を守る南郭と北部を守る北郭に夫々6本柱の物見櫓があった。
 又多数の戦闘具の出土品とも合わせ、厳しい戦闘状態が継続したことが伺える

 南部王の家である南郭を中心に、武器武具類や交易品保管の高床倉庫部と市場跡が固まってあり、その外れに竪穴住居跡がある。
 北部は祭祀跡が中心の主祭殿(径50cmの柱16本の大型重層の建物)の他、最高祭祀者の高床住居3,100基の甕棺が並ぶ墓地と30m×40mの巨大墳丘墓があった。

 これは邪馬台国時代の倭国大乱のときの小国家群のひとつであったろうと推定される。それは戦闘の終焉を示す大量の武器が堀りに埋められており、ほぼ三世紀頃には集落も消滅しているからである。ほぼ同時期に近畿一帯の環濠集落や高地性集落も消滅していることからも倭国大乱が終わり、古墳時代に入ったことをも示している

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