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2009年7月

2009年7月30日 (木)

古代史の謎19:古代からの伝統工芸「漆塗」

0012  石川県金沢市の北西部約5kmの河川跡の中屋サワ遺跡(縄文晩期)からは水辺の作業場と沢山の貯蔵穴が見つかった。
 水辺の水分の多い土に埋もれていた為、良好な保存状態で、弓や木製容器、腕輪、櫛などの漆製品が発掘され、縄文晩期の成熟した技法をそのまま見ることが出来るという。
 漆塗りの技法は中国、朝鮮から縄文前期に伝播したと言うが、何故東北、北陸で盛んなのか。やはり原料の植生故か。
(江戸時代、重要栽培植物『四木(茶、桑、漆、楮(こうぞ))、三草(麻、紅花、藍(又は木綿))』の一つとされていた。)

 自然木を加工した黒漆塗りの弓は植物繊維を捲きつけ黒漆で塗り固めている。籃胎漆器は籠やザルの内外面とも黒漆を塗って、朱漆を重ね塗り、目地を塞いで立派にしている。
 又大きな浅鉢や、注口土器などは赤色顔料が塗られ力強い仕上げになっている。(写真は赤色顔料の塗られた土器)

 この遺跡周辺にはチカモリ遺跡(史跡)、御経塚遺跡(史跡)、古府遺跡(市遺跡)など、縄文を代表する遺跡が集中しているが、犀川の潤沢な水に恵まれた自然環境により、縄文文化ゾーンが形成されたといえる。この環境が現在までの「輪島塗」の伝統を連綿と支えてきたとも言われている。

 

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2009年7月28日 (火)

北部九州大豪雨

 周知の事となったが、「中国・九州北部豪雨」と名づけられた集中豪雨はその雨量が観測史上最高値となり、多くの災害、被害をもたらしたことを記録する意味で、ブログ投稿する。

Photo  北部九州地方は24日夜半より25日朝まで連続的にすごい豪雨に見舞われた。その降り方はまさに「篠突く雨」が土砂降りしたと言うべきか、ひどい夕立状態が連続した状態であった。
 具体的にその雨量(1時間雨量
△福岡空港116ミリ、△篠栗町102ミリ、△福岡市多々良地区97ミリ、△飯塚市97ミリ。通常1時間50ミリを越えると道路側溝の排水容量を越え浸水状態となる
 3日間雨量
△太宰府市618ミリ、△飯塚市568ミリ、那珂川町562ミリ、△篠栗町517ミリ。通常の月間雨量の3~5倍程度が3日間に降ったわけである

 結果、今朝現在では山口・九州地区での死者26名、行方不明福岡・山口で4名。27日0時現在で九州地方住宅損壊59、家屋浸水3,520、山・崖崩れ523、避難した所帯82,403である。

 写真は高速道での土砂崩れで、福岡ー大宰府間は通行止め。乗用車1台が埋まり、中のご夫妻は亡くなられた。その他児童が流されるなど悲惨な事故が多かった。

 尚、福岡市内に流れ込む那珂川の上流、背振山系の麓にある南畑ダムは1時警戒水域の106%を越え、その時点下流域の福岡市内は河川決壊或いは溢流する危険性があり、ダム放水量増加できず、ダム決壊の怖れが出た。しかし、間もなく雨量が減り始め、何とか持ちこたえたという、肝を冷やす話がある。

 漸く雨も止み、詳しい被害状況が判明するであろうが、満水の河川が物凄い勢いで流れる様は、本当に怖いものであった。勿論市内の道路の殆どは冠水状態であった。

 

 

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2009年7月26日 (日)

古代史の謎18:全く謎の遮光器土偶

 是川遺跡に近い亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)縄文晩期(1,000~400年前)のものである。この遺跡を初め東北地方で出土する遮光器土偶は教科書にも載っており、知らない人はない超有名なものである。

Photo  しかし、これは何であるのかについては結論が出ていない。まず、殆どが女性像であることから、母性を意識し、豊穣な動植物の繁殖を願ったものとも言われる。又、出土品で完全なものは殆どなく、腕や足が欠けているが、病気や怪我の身代わり人形だったの説もある。
 特に遮光器土偶はその奇抜なフォルムから宇宙人を模したものといわれる様に、地球上には存在しないもので、何を根拠にしたのか不思議である。

 又驚異なのは、非常に薄いものを硬く焼き上げているその技術である。一緒に出土した土器類も小さな文様や精密な細工、薄くて硬いことから、当初鉄製品と間違われたという。現在のハイテクセラミックにさえ比される

 殆ど実用といえない祭祀用小型土器ばかり出土していることから、亀ヶ岡が神々を祭る神聖な場所であったろうと推定されている。そして、実生活と無関係の物にこれほど高度な技術を注ぎ込むほど余裕のある豊かな社会が築かれていたことは間違いない。

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2009年7月24日 (金)

今夏は冷夏?

 先日関東甲信越は梅雨明けしたと気象庁は発表した。
ところが、その後日本列島は梅雨前線が覆い、昨日今日は全国的に雨。特に昨日は瀬戸内沿岸は大雨で、山崩れなどによる災害が発生している。

 気象情報によると、今夏エルニーニョ現象が発生、結果太平洋高気圧は弱く、本来この高気圧で覆われておるはずの日本列島には、梅雨前線が居座ったままである。そしてこの前線の北上が何時になるかも不明である。即ち、日本列島は関東も含め、今暫く梅雨状態が継続したままであるという。

 このパターンに入ると当然梅雨明けは遅く、8月に入ってからとなるが、何時梅雨が明けたのかわからない状態(雨が降り続く)が続くのが普通という。結果今夏は冷夏になるという予報である。

 長期の選挙戦、梅雨状態の継続、冷夏で「夏型」産業の不振という悲惨な状態が続くかと思えば憂鬱になるが、過去の事例から避けがたい状況である事も事実のようである。
 国民の憂鬱がどのような形で破裂するかわからない。今夏は国民全員心して過ごすべし。

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2009年7月22日 (水)

古代史の謎17:精緻な工芸、是川文化

1  青森県八戸の南東にある是川遺跡縄文前~中期の一王寺遺跡、中期の堀田遺跡、晩期の中居遺跡からなり、国の史跡に指定されている。

 この内、昭和初期からの発掘が続けられた晩期の是川中居遺跡からは精巧なつくりの土器、木製品が多数出土し、注目を浴びた。636点の出土品は国の重要文化財となっている。
 特に、木製品では、樹皮製容器や籃胎漆器、弓やヤス、斧の柄、櫛、耳飾、腕輪などは肌理細かな文様の彫りこみや重ね塗りされた漆器類は可なり高度の技術のもので、現在にも通用するといわれるほどだそうである。

 このような発見は、この遺跡が低湿地帯にあり、水で空気が遮断されていたため、繊維や木製品の腐食が起こらなかったせいなのだ。
 沢の底から得られた植物遺体や花粉から、栗、トチノキ、オニグルミ、山桑、山葡萄、又ヒエや麻、大豆、ナスやゴボウまで食用であったことが判った。
 かなり豊かな食生活、安定した社会があったと想定される。

 古代縄文期の扉が少しずつ開き始め、謎が謎を生んでいる状態だが、それもやがてはっきり見え始めるだろう。 

 

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2009年7月20日 (月)

漱石の新出10句、貴重な新発見

004  先日の新聞で、漱石の新出句、10句が発見されたことが報じられた。
名前は知られていたが、行方が判らなかった、正岡子規の幻の選句集「なじみ集」が古書入札会において出現したとある。

 「なじみ集」とは子規となじみの同時代の俳人の秀句集である。その中に漱石の句が17句入っているが、そのうち10句が新出句といっていい作品だそうだ。

 漱石は明治28年5月26日付けで、親友、子規にあて「小子、近頃俳門に入らんと存候。御閑暇の節は、御高示を仰ぎ度候」と記して、本格的に俳句に挑戦することを記している。その前年までの17句が上記なじみ集に収録されているのだそうだ。俳門に入る前の漱石句として貴重なものである。
 尚、写真中にある「凸凹」は漱石の戯号で、子規宛の手紙によく「平凸凹」と名乗っている。

以下新出の10句を紹介する。
・秋にやせて薄の原になく鶉
・鳥や来て障子に動く花の陰
・目出たさは夢に遊んで九時に起き
・見る内を仏心や蓮の花
・巡礼の蝶追ひかける柄杓哉

病後
・糸柳ひねもすぶらりぶらり哉
・暗き山明るき山や雲の峰
・姫百合や月を力に岩の角
・涼しさを大水車廻りけり
・月涼し馬士(まご)馬洗ふ河原哉

 これらの句が作られた明治27年に、子規は「写生句」に開眼したといわれる。
漱石の上記「暗き山」以降の4句は写生句である。

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2009年7月18日 (土)

古代史の謎16:古代文字なのか

Photo  昭和26年北大考古学教室により発掘調査が行われたフゴッペ洞窟遺跡(道北西部の余市町)からは縄文晩期(紀元前1,000-400年)と思われる後北式土器2,700点、石器98点、骨角器48点が出土した。

 そこで注目されたのが岩刻壁画である。それは古いものは具象画であるが、時代が下るにつれ単純化された線画になる傾向を示しているという。
 これが文字の発生過程を示したものではないかとの見解が出て、俄然注目されたのである。

 この遺跡近くの小樽の手宮洞窟の洞窟の壁に刻まれた文様は「手宮古代文字」として大正以来学者間の論争の的となってきたが、それとの関係は未だ謎だ。
 更にこの洞窟の所在位置が、西奥の壁が真東にある忍路(おしょろ)環状列石、三笠山から昇る太陽の光を受け、北壁は夏至の日の出方向にある西崎環状列石から昇る太陽の光をうけるようになっており、そこに有翼人や有角人を描いた岩刻壁画(文様)が刻まれている。これがどのような意味を持っているのか全くの謎なのである。

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2009年7月16日 (木)

博多山笠「追い山」終わる

Photo  博多祇園山笠は昨15日早朝、4時59分スタ-ト「追い山」でフイナーレを迎えた。
荒っぽい祭りの三大祭りの一つといわれが、この祭りは福岡の内、博多と呼ばれる地域内の7つの「流れ」(秀吉が定めた)の7つの山が、出発点から櫛田神社に入るタイム(櫛田入り:30-45秒)と、その後の終着点まで到着する時間を競う。

 この瞬間までが長い。先ず5月から博多人形師が山に飾り付ける大きな人形の製作に入る。次いで6月からは、本番を目指し、各流れごとに飾り山の準備に入る。7月に本格的飾りに入り、10日からは連日の如く、「追い山ならし」として、本番と同じ調子での山を担ぎ、町内を回る。怪我をせぬよう、早く走れるようにとの訓練と共に、本来祭りに関係ない福岡部に顔見世するなどのためで、町中が一気に祭り気分に盛り上がる

 そして本番15日、早朝の博多の町を順次「山」が駆け抜ける(約30-45分で到着点へ)。コース路上は見物客でごった返すが、7時ごろには略終了する。そして、飾り山は即解体に入って、祭りは終わるのである。人形師の苦労はこの一瞬で終わってしまう。一瞬の輝きに男の美を見せるように。

 この祭りの間、男は不浄を絶ち、家は「ゴリョンサン」が守る。昔からの伝統である。

 そして、博多の街には本格的な夏が来る。

 

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2009年7月14日 (火)

古代史の謎15:謎の環状列石

0022  北海道南部の森町、内浦湾を1kmほど内陸に入った鷲の木遺跡(縄文後期)には環状列石と集団墓地がある。

 環状列石は、三重になっており、外帯は長径37m、短径34の楕円形。内帯は外帯より約50cmほど内側に巡らされ、中央帯は長径4m、短径2.5mの楕円形である。
 石の大きさは20-60cmのものを桂川より運んで並べたものである。その数約530個で、地面を平らに削って並べている。
 集団墓地は環状列石の外側に11基見つかっている。

 この状況から環状列石と集団墓地とは同列のものではなく、別個のものと見られる。住居跡などの集落の形跡はなく、生活の場とは離れていることと、儀式の跡らしきものが5ヶ所あるため、古代祭祀遺跡説が有力であるが未だ謎である。

 

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2009年7月12日 (日)

早朝ウオーキングの効果は?

 昼は暑いので、早朝ウオーキングに切替えて2週間になる。
約2年前、医師に薦められ歩き始めた。結果体重は8kg減り、血液検査の全ての検査値が標準値内に納まっている。

 従ってこの状態を夏場も維持するため、朝5時半~6時頃起床、6時に家を出て約1時間、登り勾配の道はウオーキング。下り勾配及び平坦道路は小幅のジョギングというやり方で交互2回となるコースを、歩き&小走りでやって見た

 その効果は
1)朝は涼しくて気持ちがいい。空気が新鮮な感じがする。
2)出会うウオーカーの殆どが「お早う」と挨拶され気持ちがよい。
3)朝は頭もすっきりし、色んな知恵や思いつきをし、よい計画が出来る。
4)帰ってのシャワーで心身ともにすっきりする。
5)朝食が美味しく食べられ、1日の活力となりそう(夕食は減らしている)。
6)ジョギングを混ぜることで、違った効果を期待している。
7)早朝に済ますので、午後の時間に余裕が生まれた。

等々、今のところ快適にウオーキング&ジョギングを続けている。

 

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2009年7月10日 (金)

古代史の謎14:古代信仰遺跡か

005  青森県の寺下遺跡(三戸郡階上町)は縄文後期~晩期(紀元前1,000年~500年)の遺跡で、竪穴住居跡11軒、土抗11基の他貝塚も出た。

 この遺跡での特徴は貝塚が食べ物滓などのゴミ捨て場と異なり、土器が貝殻や獣骨などが詰め込まれた状態で出土したことである。ゴミとして捨てたものではなく、供養の葬送儀礼と解釈されている。

 又蛇の入った壷形土器もあり、これは古代蛇がよく神として扱われた蛇信仰と解されている。更に人骨と一緒に鹿角製腰飾りも出土した(写真)が、これは全国的にも出土例はは少なく権威の象徴とみなされる。

 他に遺骨の周辺から遮光器土偶や猪の牙製の首飾りやヒスイや蛇紋岩の玉類、貝殻製品などが出土しており、この遺跡が相当の権威者の関係したものであり、ゴミではなく供養物と見られるものや信仰の山、階上岳の麓であることから、古代の信仰が色濃く残された特異な遺跡といえると同時に、埋蔵品の持つ意味には謎が多い

 

 

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2009年7月 9日 (木)

今、米飯は主食か

 掲題のテーマは大変大きな問題を包含しており、現在の日本の食糧事情を云々・・・・という感じがするが、そんなご大層なことではない。全く身近の日常的な話で、今や米飯は主食でないのではないかと思っていることである。

 最近のサリーマン諸氏、昼飯は安い食堂、レストラン、或いは弁当を買って食べて居るとか。そのお値段が1年前は500円~1,000円円であったが、最近は500円以下だとか。

 これら弁当や昼飯屋さんの低価格化対策は大変なのだそうだが、私が時々昼食を外食したり、弁当を買って食べる際、最近の飯の旨くないこと! 約2年前まではレストランも弁当屋もご飯の美味しさを競って、いい米を使い、旨い飯が食えた。
 しかし、現在低価格化が進み、どこの昼食メニューも値段は安いが、飯が旨くない。寿司なんかの飯も不味い。寿司はネタと共に、シャリが命だろうに。
 最近の若者は昼食代を安くするためには、ご飯が不味くても全然応えてないのか。

 値下げのために、ご飯を安い米にしても、問題なく通用しているということは、最近の人たちは飯を主食として食ってないからだ!と思うようになった。朝はパン、昼は麺類、夜はお茶漬け程度の米との付き合いか。
 今や日本人の主食は何なのだろうか、もしかして主食はないのだろうかと思うようになった。
 

 

 

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2009年7月 6日 (月)

古代史の謎13:食料庫を構築

002  正福寺遺跡(福岡県久留米市)は市街の南東の耳納(みのう)連山の丘陵地帯西端、飛岳の麓にある縄文後期前半紀元前1500~2000年)の遺跡である。
 この地形は日当たりがよく、耳納連山から湧き出る水が豊富であるため、生活環境がよい。

 この遺跡の特異点は、60余基の土抗(穴倉)である。水が湧き出る沢に作られ、ドングリを主とした大量の木の実類が、種類別に保存されていた。冷たい湧き水が木の実類の貯蔵に適したのであろう。木の蔓で編み上げた籠100余点も見つかっている。中には写真のようにドングリが入ったままのもある。

 これらを掬う杓子や容器、装飾用の珠、柄付きの石斧なども出土。特に石斧は柄が抜けにくい様に工夫されており、通常弥生時代でないと見られないもので、貴重な発見である。

 このように以前は弥生時代の生活文化とされていたものが、あちこちの縄文期遺跡からも発掘され、古代の生活レベルや知識、技術及び信仰心などの時代区分は、過去の常識を覆すものもあり、大幅な見直しが必要になってきている。

 

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2009年7月 4日 (土)

梅雨晴れ間

001  久しぶりに晴れ上がった。九州に大雨をもたらし、あちこちで田畑が冠水し、山崩れや土砂流出など、被害も多かった。

 しかし、水不足の中、田植え直後の雨でもあり、水不足が心配されたが、水田はもとより、北九州の油木ダムのように10%を割ったダムも含め、70-90%の貯水量となり、飲料生活用水、農業用水ともに問題解消した。

 写真の池も水は底を突いていたが、今は満々と水を湛え、空には夏雲が浮いている。しかも、不連続線が南下しての晴れなので、大陸高気圧が張り出し、昨日までの蒸し暑さは嘘のような爽やかさである。

 博多の街は山笠の飾りつけも進み、祭り気分が盛り上がりつつある。

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2009年7月 3日 (金)

古代史の謎 番外編:古代の年代区分

 当シリーズでの時代表現が縄文や弥生或いは古墳時代の前期、中期、後期などと表示すると、年代との関係がはっきりわからないので、参考のため一般的に使われる各時代区分に相当する年代を、以下表示しておきます。

2,000,000年前~ 前期旧石器時代 猿人発生
1,000,000年前~            原人出現(北京原人65万年前)
  150,000年前~ 中期旧石器時代 旧型ホモサピエンス(旧人類)出現
   35,000年前~ 後期旧石器時代 新型ホモサピエンス(新人類)出現
紀元前 10,000年~ 縄文時代 草創期 (氷河期が終わる)
      7,000年~ 縄文時代 早期
      4,000年~ 縄文時代 前期
      3,000年~ 縄文時代 中期
      2,000年~ 縄文時代 後期
      1,000年~ 縄文時代 晩期
        500年~ 弥生時代 早期 (縄文晩期に入れる人もある)
        300年~ 弥生時代 前期
        100年~ 弥生時代 中期
紀元後    100年~  弥生時代 後期
        250年~ 古墳時代 前期
        400年~ 古墳時代 中期
        500年~ 古墳時代 後期
        600年~ 飛鳥・白鳳時代(大和時代と表記することもある)
        710年~ 奈良時代
        794年~ 平安時代
 註)上記年代区分は学者、著者により変ることがあります。

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2009年7月 1日 (水)

古代史の謎12:作業場がある遺跡

0012_2  山梨県北杜市の梅ノ木遺跡縄文中期のものである。茅ヶ岳の真西に位置する丘陵地帯で、湯沢川の辺にあり、日当たりもよく飲料等の水も充分で且つ、森林が各種動物の食料資源確保を容易にしている。

 この遺跡の特徴は集落北側の湯沢川に作業場を作っており、集落と作業場を結ぶ道路跡が略完全に残っていることである。集落、作業場、道路の3点セットが残る遺跡は珍しいという。
 作業場食物の調理加工をしたり、平石を敷いた敷石遺跡や小石を集め何かを焼いた集石遺構、貯蔵用の土抗などが確認されている。
 又、多数の墓や祭祀用の土器・土偶も見つかっている。

 この遺跡は環境がいいせいか、約500年間に亘って存続したと見られる、外径100m以上の巨大な環状集落である。勿論東に位置する茅ヶ岳を神の存在する霊山としていたであろう事が推定される。

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