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2009年3月

2009年3月31日 (火)

花見ドライブ

0072_2  昨日に続き今日も晴れ上がった。福岡の桜もボツボツ散り始めたので、近郊の花見に出かけた。
 尤も気温が低く花の下で宴会するには寒すぎる。そこで、近郊の花の名所をドライブして周り、車窓からの花見とした次第である。

 写真は峠の桜の名所で、「峠の茶屋」での休憩時のもの。ここはこの花と反対側を見晴らせる展望台があり、総理のふるさと飯塚市が一望できる。

 花はやはり散り際がよいというものの、今年は気温が低いせいか、一気に散ることも無くまだ暫くは満開状態が楽しめそうだ。

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2009年3月30日 (月)

古事記を読む(12)

大国主神2(国創り)
《「古事記」あらすじ》
 『八千矛神(大国主神)は高志国の沼河比売と契りを交わした。又妻の須勢理毘売が嫉妬深いので、困って大和国に行こうとしたが、仲直りし、今に至るも仲良く宮に鎮座されている。

 大国主神は出雲の美保で、海から現れた少名毘古那(すくなびこな)神に出会う。少名毘古那神は神産巣日神(造化三神の一柱)の子であった。葦原色許男命(大国主神)が少名毘古那神と共に地上界を固めよ、と神産巣日神は命じた。

 ニ神は葦原中国をつくり固めたが、やがて少名毘古那が常世国に去ってしまったので、国を固められるかどうか、大国主神が心配していたところ、海から神が現れた。そして共に国つくりをする代わりに、私の御霊は三輪山に祀るよういわれ、大国主神はこの神を奈良の御諸山(三輪山)に祀った』

 大国主神は「大いなる国の主」であり、「天(あめ)の下所造(したつく)らし大神」とも称えられるが、葦原中国ではなく、出雲国の創生神として最有力の神である。但し、出雲国風土記には余り詳しく記載されておらず、記紀と異なる部分も多い。

 少名毘古那は海の向こうからガガイモの実で作った船に乗ってきたと言うから大変小さな神様である。そして常世国に帰ったと言うことは、理想郷と言われる世界へ行って、地上に豊穣をもたらした事をいっている。これはおそらく朝鮮半島からの影響があったことを表現したものでないかと言われている。

 又、小さな神は、何かの能力を持つ霊魂が憑くことによりその能力を獲得できるという考えが古代にあったので、それが大国主神に憑いたとも考えられる。
 そして、国つくりのほか、人・家畜の病気治療、鳥獣・昆虫の害の防除のほか穀類の神格を持っているとされる。

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2009年3月29日 (日)

今年の花が早い訳

004_2   今日は旧暦三月三日、桃の節句だ。今年は桃も花が早く咲き、三日月と桃の花、雛人形が揃って、今年は本当のひな祭りが出来る。

 今年はソメイヨシノの開花が早く、山桜、八重桜等も同時に咲いていますが、桃も写真のように花を着けている。それだけでなく、福岡ではつつじも咲き、蓮華も咲いており、花という花全部が咲き始めたという感じだ。

 これは気象の影響かと思っていたら、今年は暦の上からも早咲きが当然と言う。即ち、旧暦(太陰太陽暦)では、旧正月の前に立春が来るか、後に来るかで梅や桜の開花の早遅が予測できるそうだ。旧暦1月1日は立春に近い新月の日だから、立春は旧正月の前後だが、旧12月だとまだ春になっていない。しかし今年は旧1月10日が立春となった。だからもう完全に春と言うことで花が早く咲いて当たり前と言うわけである。

 余り科学的でないようだが、75%の的中率という。即ち自然現象のうち、生物は月の影響を受けやすく(人間の出生や、植物の萌芽など)月の運行による旧暦での判断の方が当たる訳だ。だから、実生活上の慣習や農業などは旧暦が必要である。旧暦はユダヤ、ギリシャ、中国で使われている。日本でも田舎では旧暦による行事は多い。

 因みに今年も旧暦では閏年で、閏5月が入るので、1年が13ヶ月となり、旧暦の夏が長くなる(旧暦は1年が354日だから1ヶ月は29.5日。よって、29日と30日の月がある。そして1年に11日たりないので、19年間に7回、閏月が入り1年13ヶ月の年がある)。
(この記事は毎日新聞の日曜版松村賢治氏の「旧暦どっぷり」を参考にしている)

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2009年3月28日 (土)

古事記を読む(11)

大国主神1(因幡の素兎、大穴牟遅神)

《「古事記」あらすじ》
 『須佐之男の6世の子孫が大国主神
(おおくにぬしのかみ)である。大国主は他に大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)、葦原色許男神、八千矛神、宇都志国玉神、の5つの名を持つ。
 大穴牟遅神は兄弟の八十神
(やそがみ)達に従い、因幡の八上比売(やがみひめ)へ求婚に向かった。途中、ワニに毛を剥がされた兎に出会い、真水で洗い、ガマの穂に包まる様に教えて助け、その兎が八上比売は大穴牟遅神と結婚すると予言しその通りとなる。
 八十神達は怒り、大穴牟地を焼殺したが、母神が神産巣日命の助けを借りて甦らせ、更なる災難からも逃れ、紀伊国の大家毘古神の元へ行くと、この神が須佐之男の支配する「根之堅州国」へ向かわせた。そこで須佐之男の娘、須勢理毘売と契りを交わした。

 そこでは須佐之男が大穴牟遅に種々の試練を与えたが、須勢理毘売(すせりびめ)の助けや鼠の教えにより、試練を乗り越え、須勢理毘売と共に地上界に帰る。
 須佐之男は大穴牟遅に「八十神を討払い、宇都志国玉神となって、須勢理毘売を妻とし、地上界の支配者になれ」と言った。その通り八十神達を平定し、初めて地上界に国を建てて、須勢理毘売と婚姻した。』

 出雲国が須佐之男によって建てられる話であるが、出雲国が渡来系の人によって建てられた事は、出雲国風土記の「国引き神話」、記紀、播磨風土記などが新羅国或いは韓国との深い関係を記載していることからも類推される。
 又何故大国主神は色んな名前をもっているか。これは前記の風土記などに記載されたものを古事記が取捨選択せずに夫々の話を古事記に記載したため、出典ごとに違う名前をそのまま使ったからと思われる。

 素兎(しろうさぎ)伝説はインドや東アジヤにある同様な話が伝播したものとする説が有力である。ワニとは鮫のこと。但し、素兎は、新羅系(シロ)のイサ族の天菩卑(あめのぼひ)のことであり、一方ワニは新羅系の渡来人ワニ氏のことで、天菩卑がワニに破れたのを大穴牟遅に助けられ、その傘下に入ったことを物語っているとの説もある。

 この時代、九州から一大勢力が大和に侵攻し、ニギハヤヒの大和支配権を奪っていた。その時代、須佐之男から支配権を受けた大国主が君臨する出雲が着実に力を着けて、版図を広げ始めたのである。その事実を古事記は削除せず記載している。                                        

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2009年3月26日 (木)

春爛漫

20  昨日は曇りがちで、最高気温10度前後、2月後半の気温とかで、桜も縮込むかと思っていたら、今日は雲ひとつなく晴れ上がり、桜が一気に満開となった。
 それも何処彼処問わず、何れの桜も同時に満開と言った体である。

 まだ風は冷たく、今年はゆっくり春が来て、ゆっくり過ぎ去り、花も長期間楽しめるかと思っていたが、この調子だと、駆け足で夏に近づくのでないか。そう思って辺りを見回すと、色んな草花が一気にパッと咲いた感じである。又、遠くの山を見ると、新芽なのか淡い緑や山桜の薄いピンクなどが眺望できる。

 こんなに急に春になってしまう年も珍しいと思うが、これも異常気象のせいなのか。
 何れにしろ、やはり春はいいなあ。明るくて、気持ちよく、人々の顔にも輝きが出て来る季節だから。

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2009年3月25日 (水)

古事記を読む(10)

八俣の大蛇(やまたのおろち)退治

《「古事記」あらすじ》
 『高天原を追われた須佐之男命は出雲の国斐伊川の上流鳥髪に降りた。川に箸が流れてきたので上流に行くと、翁(足名椎)と媼(手名椎)が童女(櫛名田比売)を挟んで泣いていた。訳を聞くと「毎年八俣のオロチが来て娘を食らう。今年もやがて来る。姿は目が赤く八つの頭と八つの尾をもつ。体には苔や杉、檜が生え、丈は八つの谷、峰に跨っていて、腹から血を滴らせている」という。

 そこで、須佐之男は娘を貰いうけ櫛に変え髪に挿し、老父老女に強い酒を醸させ、垣を巡らし、八つの門を作って酒船を置かせた。やがてオロチが来て夫々の酒船に頭を入れて酒を飲んで酔った。そこを十拳の剣で切り刻み、その血で川は真っ赤になった。尾を切ったとき、草薙の太刀が出てきた。

 オロチを退治た須佐之男は櫛名田比売と結婚し、須賀に宮を造り鎮座した。その6代の孫に大国主命が生まれた。又の名をオオアナムジ、アシハラシコオ、ヤチホコ、ウツシクニタマの5つの名を持つ』

 須佐之男命は高天原を追われる時、八百万の神々から罪を償う品々を出させられ、髭を切り、手足の爪を剥れて葦原中国に降りた。乱暴を働き破壊と追放を繰返したが、このくだりではオロチ退治の英雄に変貌している。これはこ贖罪によるものか。
 備後国風土記では祟りにより人を殺す武塔神は災厄も防ぐ神とされ、須佐之男命と名乗っている。両面を持った神といわれるが、二神が一柱の神として描かれてしまった可能性もある。

 ヤマタノオロチの神話はよく知られているが、鉄を産する出雲地方の川は赤褐色に染まり、且毎年暴風雨の頃川がよく氾濫した。これを鎮める為に過剰な供え物や賦役を課せられた。これを見た須佐之男が治山治水に力を注ぎ平穏をもたらした事だとも言う。尚、鉄の産地であるため立派な刀も作られ、それが献上されたのが草薙の剣であるとも言われる。

 八俣のオロチについては、上記以外に、川ではなく山脈であり、鉄分の多い山脈が赤く見えることから来ていると言う説、或いは越(北陸)から攻めてきた豪族こそがその正体で、大穴持命が越の八口で平定したとの説(出雲国風土記)もある。

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2009年3月23日 (月)

風の道を考える

 福岡では桜の「満開宣言」が出されたそうだ。開花宣言と同じ場所の桜が八分咲きになれば「満開宣言」を出すそうである。

 これを聞くと、その地域一帯が満開と思うのが普通でしょう。ところがそうではない。平均的に見れば今は5分咲きと言ったところであろう。

 で何故こんなに場所によって咲き具合が違うのか。私の近くの広場の周囲は桜の木がぎっしり並び、「桜並木」となっている。ところが道路側の桜はせいぜい3分咲き。反対の山側は6部咲きぐらい。その距離100mも離れてない。何故なのか。

 実はこれは「風の道」のせいである。「風の道」とは読んで字のとおり、風が通る道である。即ち、地形や建物の影響で、風が通りやすい場所とそうでない場所がある。

 夏涼しいのは風の道。花が早く咲くのはそうでないところ。住まいはそうでないところを選ぶべきである。果樹園などはそこそこ風通しが良い方がよいが、人を集める場所はそうでないほうが良い。

 こんなことで、何の場所を選ぶ場合にも、風の道でないかどうか、一考を要する次第を思った。

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2009年3月22日 (日)

古事記を読む(9)

天照大御神の謎

1.天照大御神は皇祖神か?
 記紀神話では本来の祖神である高御産巣日神
(たかみすびのかみ)と、後に皇祖神として取り込まれた天照大御神を結びつけて、天孫降臨神話が創られた。
 その時期には諸説があるが、6世紀初め頃、タカミスヒを祀る太陽神の巫女(ヒルメ)が神格化されタカミスヒと共に伊勢で祀られるようになり、推古女帝の時代に日神と同格の太陽神となったとする。

 伊勢神宮祭祀の大改革が行われた天武朝期に祭神をヒルメ単独にすることが決定し、皇祖神としての天照大神が誕生したと推定される。勿論異論も多いが、男神である原太陽神に仕えた巫女が後に神格化されて太陽の女神となったとの考え方は諸家一致している。又、伊勢の天照祭祀が確立したのは天武・持統期であることもほぼ確かである。

2.天の岩屋戸入りの意味は?
 「岩隠る」という上代語があり、万葉集や祝詞の中に見られると言う。「岩屋にお隠れ」の意味で「貴人の死」である。古墳で石室の中に納める。即ち葬ることだ。
 したがって、天照大神が岩屋に隠れたのは死を意味している。では何故死をこのような表現にしたか。それは尋常な死ではなく、抹殺された。即ち、「造化三神」の実力者「高御産巣日神」の命により、須佐之男により誅殺されたものであると言う。
 理由は余りにも有能であり、祖神を超越する存在になりかねないのを恐れられたからだ。怨恨を鎮める為、伊勢に移し、心御柱に封じ込め、正殿の下に埋めてある。一方の須佐之男の台頭をも許さぬよう、穢れを祓う儀式をさせてから、高天原から追放している。

3.創られた皇祖神か?
 先ず歴代男帝は何故か祖神を祀る伊勢神宮に参拝してない。初めて参拝した男帝は明治天皇なのである。又、日神は元来男神であった。中世の諸文献では男神としての天照が多数出てくる。伊勢参宮記、源平盛衰記他も男神アマテラスが描かれている。皇祖神にして全日本人の親神としての位置づけは、明治以降の官製イデオロギィーだと言われている。


 

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2009年3月21日 (土)

遂に現れたか!邪馬台国

纒向遺跡発掘進む

0163  昨夜NHKTVで、纒向遺跡の発掘調査で、柱が並んだ建物跡と思われるもの三棟分が見つかり、以前より邪馬台国の存在した場所と目されていただけに大きな発見であるとのニュースが流れた。
 今朝の新聞にも「王権中枢施設か」との見出しで記事が出ている。

 私達のように古代史ファンにとっては最大の謎に迫る、まさに衝撃的なニュースである。纒向遺跡が邪馬台国の跡ではないかとの学説は、10年ぐらい前から出始め、特にこの遺跡が古墳時代の前の2世紀末頃から、卑弥呼の没した3世紀前半のもので、その後忽然と消えていること。前方後円墳の前駆的古墳が存在すること。出雲や吉備と類似の遺物も見つかることなどが大きな根拠とされ、後はこれを証明する遺跡が見つかる事が待たれていた。この辺りの詳細は小生のホームページ(の「邪馬台国を探そう」の項)を参考にして下さい。

 本当に宮殿跡、そして最終的墳墓が見つかれば古代史最大の謎はようやく決着となる。胸ときめくニュースだった。

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2009年3月20日 (金)

古事記を読む(8)

天の岩屋と五穀の起源

《「古事記」あらすじ》
 『天照大御神は須佐之男命の乱行を恐れ、天の岩屋に隠れてしまった。すると、高天原もこの世も真っ暗になり悪い神々の騒音が満ち、禍が至る所で起こった。
 そこで八百万の神々が天の河原で相談し、思金神に鳥を集めて鳴かせ、祭壇を作り鏡と幣を飾らせた。
 そして、天児屋命が祝詞を上げ、天宇受売命
(あめのうずめのみこと)が岩屋戸の前で桶を踏み鳴らし、胸乳をさらけ出し、服を陰部まで押し下げた。すると高天原がどよめき、八百万の神が大笑いをした。

 不思議に思った天照大御神が岩屋戸を少しあけた時、鏡を見せ、大御神が身を乗り出した瞬間に、隠れていた天手力男命(たじからおのみこと)が大御神を引きずり出した。それで、高天原も葦原中つ国(この世)も日に照らされ明るくなった。

 高天原を追われた須佐之男命は彷徨って、大気津比売神(おおげつひめのかみ)に出会い食物を所望した。比売神は鼻や口、尻から食材を出し調理して差出した。これを見て怒った須佐之男は比売神を殺した。
 すると比売神の体の頭には蚕が、目には稲の種が、耳には粟が、陰部には麦が、尻には大豆が生った。祖神の神産巣日
(かみむすび)神がこれを須佐之男の手にとらせ、五穀の種とさせた。』

 よく知られた天の岩屋のくだりである。思金神は深謀遠慮の神。天児屋命は中臣(藤原)氏の祖。天宇受売命は芸能の猿女君の祖。尚天宇受売の所作は後の神楽での歌舞と神憑りの連動したものという。
 又現在宮中の新嘗祭の前に行われる鎮魂際での巫女の所作と類似しているそうだ。又天照が顔を覗かせたとき見せた鏡が、現在の伊勢神宮の御神体「八咫鏡(やたのかがみ)」であるという。

 天照大御神の岩籠り神話は何を示しているか。諸説ある中で有力なのが、日食が起こり暗くなった現象とする説や冬至に行われる鎮魂際のころ古くから行われていた太陽復活祈願の儀式だとする説もある。
 しかし、この記述は日向の西都原に逃れたアマテラス一族が後の世に、再び勢力を蓄えて、スサノオの後世、王国連合に進んだことを示すとする説がある。即ち邪馬台国連合の女王となった卑弥呼こそがアマテラスであるとする説だ。

 因みに、天上界を追われたスサノオは、安曇族と共に出雲の国建設に向かっている。丁度五穀の種を貰い、稲作農業をを始める頃(紀元1~2世紀)のことと思われる。
 五穀神話は水稲栽培、定着農業の始まりの話で、この後狩猟と移動の生活から水稲と定着農業へ変換し、小さなクニ(集落)、小国の出現、ひいては邪馬台国へと進展して行く前夜であったろう。

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2009年3月19日 (木)

球春真近

 昨夜、プロ野球オープン戦を見にドームに行き、今日は昼よりWBCをテレビ観戦する。
野球が大好きと言うわけではないが、やはり地元球団を応援したくなる。しかし、残念ながら、我がホークスは昨シーズン最下位に転落。今年は秋山新監督の下、是非Aクラス入りを果たして欲しい一念もあるものの、たまたまチケットが手に入っただけのことではあるが・・・。今日は何とか4-3で勝ったが、今時の勝敗は信用できない。

 ところで、前ホークス監督の王さんが特別最高顧問を引き受けてのWBCも無関心ではいられない。特に我がホークス出身の城島捕手のリードは是非見ておくべきだ。ましてや今日の一戦で、準決勝戦にのこれるか否かの大勝負。見逃すわけには行かない。結果、昼食時からテレビの前かじりつき。その念が通じたか、何と今日は5-0でキューバに快勝。準決勝進出が決定した。

 明日以降も、昨年の「柳の下の泥鰌」期待で何とか優勝戦に残れるよう、明日も朝10時からテレビに齧り付きか。
 楽しいこと、うれしいことは何でもいい。世の中春になって、何となく車(貨物も含め)の走行も増えた気がするが、少しは荷動きが増えてきたか・・・。

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2009年3月17日 (火)

古事記を読む(7)

天照大御神と須佐之男命の抗争

《「古事記」あらすじ》
 『伊邪那岐大御神(父)に追われた須佐之男命が「姉の天照大御神に挨拶してから母の国に行く」と、天上に向かうと、山川は轟き、国土が揺れた。
 天照大御神は「弟はこの国を奪いに来るに違いない』と武装し、何をしに来たか詰問した。須佐之男命は「姉上に挨拶に来た。異心はない」と言い、それを証明するため宇気比
(うけい)(占い)をした。

 二神は天の安河をはさんで、宇気比をし、先ず天照大御神が須佐之男の十拳剣(とつかのつるぎ)から三柱の女神を成した。次に須佐之男が天照大御神の玉飾りから五柱の男神を成した。

 須佐之男は「私の心が清く明るいので、か弱い女の子が生まれた。これで宇気比は私が勝った」と言い、田の畦や溝を壊し、神殿に糞を撒くなどの乱暴をした。しかし、天照大御神はこれを咎めなかった。
 すると須佐之男の悪業は益々激しく、穢れを忌む機屋
(はたや)に皮を逆剥ぎした馬を投げ入れた。これを見た服織女は梭(ひ)(横糸通し)で陰部を突いて死んだ』

 須佐之男が高天原に昇ったとき国土が激しく鳴動したのは、この神が嵐神、暴風雨神の一面を持っており、又名前の建速(たてはや)も猛々しさをたたえる言葉で、スサも荒(すさ)ぶを示すという。
 須佐之男がこのように荒々しい一面と、天下りして後に人を愛し善政をしく両面を備えているのは、実際には二神を纏めて書かれたと言う説と、若い頃粗暴であったのが歳経て温和になったという説がある。

 宇気比とは、神の真意を占う呪術で、ことの善悪、正邪、吉凶を占う。予め兆候による判定基準があり、男子が生まれるのが勝ちのはずであるに係らず、初めに基準も定めず、又女児を生んだ須佐之男の勝ちとしているが、当時は元明天皇(女帝)であったことによるとの説もある。

 この段はアマテラスとスサノオの姉弟抗戦を暗示している。アマテラスは並外れて賢明であり、人智の及ばぬ言動があったとも言われ、それを恐れたイザナギが天上の国へ送ったとも言われる。一方行動的で活発、武勇に勝れたスサノオには海を治めるように命じた。
 これは、任那から派生した海人族即ち阿曇族に属したスサノオと、任那直系のアマテラス系部族の対立、抗争を記したものであるとの説である。

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2009年3月16日 (月)

桜が咲いた

0052_2  13日に開花宣言された福岡であるが、近辺の桜を見る限り、未だやっと蕾が膨らみ始めたばかり。
 ところが今日近くの公園の桜の若木に花がついて居るのを発見。ここは日当たりも良く、風の通り道でもないせいか、暖かく、木全体の花が咲いている。うれしくてつい写真に撮ったので、ここに記録を残す。

 今日はそれにしても暖かくて、最高気温18度とか。すっきりと晴れ上がり、一昨日の寒さは何だったのか。この分だともう花冷えもないかもしれない。
 やはり春がいいよね。春から初夏が一年中で一番好きな季節である。

 

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お経は唱えるもの

 昨日親戚の法要でのこと。
 無事法要が終り、和尚さんにお疲れさんのお茶を勧め雑談に入ったところ、同席の若い女性が、お経の中の詞について意味を尋ねた。

 和尚さんは答えて曰く、お経は中国の僧玄奘が今から1400年前にインドから持ち帰ったものの内、やっと3割程度が中国語に訳されて残りは手付かずです。例えば般若心経にしても梵語で書かれたお経の「音」に漢字を当てはめただけでその意訳をしたものではない部分が多い。よって漢字の文字の意味を聞いても何にも成らない。

 自分も僧でありながら、お経の意味はよく解からない。但し、お釈迦様の教えは、「すべてが無」と言う事であり、お経の意味をいちいち考えることは「無」の教えに反する。読経しているとき意味など考えていると雑念が涌き、無心になることが出来ない。よって何も考えずに、邪念を祓うため、ただひたすらお経を唱えることが必要です。との説明だった。

 確かに素人の知ったかぶりする人への説明は難しいものであろうから、この説明は要を得ているかと感心した次第。よって、ここの記録に留める次第。

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2009年3月13日 (金)

古事記を読む(6)

三貴子の誕生

《「古事記」あらすじ》
 『黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命は黄泉の穢れを落とすため、日向の橘の小門の阿波岐原で、禊祓いをした。この時、身に着けていたものから次々に神々が生まれた。左の目を洗った時成り出たのは「天照大御神」、右目からは「月読命」、鼻から「建速須佐之男命」
(たけはやすさのおのみこと)が成り出た。

 伊邪那岐命は最後に貴い子を得たと喜び、天照大御神には首飾りを与え、高天原を治めること、月読命には夜之食国(よるのおすくに)を治めること、須佐之男命には海原を治めることを申し付けた。三貴子(みはしらのうずのみこ)の誕生である。

 ところが、須佐之男は亡き母の居る根之堅州国(ねのかたすくに)に行きたいと泣いてばかりいたので、伊邪那岐は怒り、須佐之男を追い払ってしまった。伊邪那岐大神は淡海(近江)の多賀に鎮座した。』

 愈々皇祖神の誕生である。記紀には神の名を、神→命→大神→大御神と順に格が上がる呼称で書かれている。しかし、天照大御神は最初から大御神である。
 書記には「天照」はなく「日神」と記されているが太陽神を現し、月読命の治めるのは夜であり、月の神である。因みに星の神はない。

 ところで、須佐之が行きたがった根之堅州とは何処であろうか。一説には黄泉の国を指す、或いは片隅の国とか地面の堅い国などの説や、場所は地下や海底など地下世界であるとも言う。生命の根源を宿すところであり、死者や祖霊のこもる処、あらゆる罪悪の行き着くところとも見られる。

 古事記のこの下りは神代の世界から急に現世の天皇誕生へ近づく節目の感がする。
 その前段としてイザナギが身に着けたものから生まれた神々は海、航海、道中守護、食料、遠征などを示唆する神々の誕生。又アラツミの名がつく神々で海洋交易をする阿曇(あづみ)族を示唆する神々の誕生である。
 又、上津、中津、底津の名が付された神が出てくるが、夫々長崎、博多、下関を指すといわれ、北九州一帯を支配した国々の存在を示し、伊都国或いは奴国へと引き継いだことを示唆するとの説もある。邪馬台国出現が間近い頃の北九州の状態であろうか。

 

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2009年3月12日 (木)

男児出生率は増えているか

 男女の出生率について、こんなことを聞いたことがある。即ち最近女児の出生率が高い事の説明であるが、統計的に見ると、世の中が不安定で、生活が困窮するような世相の時代は、男児出生率が高い。これは、種族保存の本能の働きか、例えば太平洋戦争後の出生率は男児が高いそうである。

 ところが最近は女児出生率が高かった(昨年夏頃までは)そうである。これは世の中平穏で、人類が減少の兆しがない時である。そして、このような時の男子は女性的になり、性的意欲も減退し、中性的男性、セックスレス男性が多い傾向が見られる。というものであった。

 その伝で行けば、最近は大変な不況の時代であり、失業者が急増している。当然日常の生活も苦しい環境となりつつあるので、前記の法則に従えば、当然ごく直近の男女出生比率は男子が増えているはずであるが、実態は如何がであろうか。

 付言すれば、貧富の差も上記(人類存続の)原理に従い、生活困窮度が高いほど、子の出生率は高くなるのかも・・・・。

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2009年3月 9日 (月)

古事記を読む(5)

黄泉(ヨミ)の国

《「古事記」あらすじ》
 『妻を亡くした伊邪那岐は怒りに狂い十拳
(トツカ)の剣でカグツチを切った。その時、刀の血から八柱、カグツチの体から八柱の神が生まれた。尚、伊邪那美は出雲と伯伎の国境の比婆山に葬られた。

 伊邪那岐は伊邪那美を追って黄泉の国へ行ったが、伊邪那美が黄泉の国の食べ物を食べたので、すぐに帰れない。少し待ってと言われたが待ちきれずそっと覗くと、体は腐敗し蛆が涌いていた。
 驚いて逃げ出すと追っ手が来た。首飾りやくしの歯を投げつけて、葡萄や竹の子になり、追っ手がこれに食いついている間に更に逃げ、次に伊邪那美から生まれた雷神が追いかけてきた時、黄泉比良坂の桃の木の助けで撃退する。最後に伊邪那美が追いかけてきた時、大岩で坂の口を塞いでしまう。
 悔しさに伊邪那美は「あなたの国の人を一日千人ずつ殺す」と言い、伊邪那岐は「それなら一日に千五百人の子供を生ませる」と答えた。

 伊邪那岐命は黄泉の国の穢れを祓うため禊をして、日向国の阿波岐原へ赴いた。そこで、命は尊い三柱の神を生む。左目を洗った時に天照大御神、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれた。』

 この黄泉の国神話は日本書紀にはない。では黄泉の国とは一体何を物語っているのか。先ずこれはギリシャのオルフェス神話とそっくりである事が挙げられる。「毒蛇に噛まれ冥界へ旅立った妻を連れ戻すためオルフェスは冥界へ下る。ところが見てはなるぬとの約束を破ったため、妻は冥界に連れ戻される。冥界は暗い地下の世界である」と言う神話が大陸経由で日本に伝播したものであるとする説である。

 一般に黄泉の国は地下の世界と解されているが明確に地下との記事はない。しかし、古代に見られる「埋葬までの間、遺体を喪屋に安置する」モガリという風習で、季節によっては腐乱し、蛆がわくこともあったこと。又横穴式墳墓の玄室(棺を安置)と羨道(玄室への道)があることから、ここを指すとも言われる。

 尚、逃げるとき伊邪那岐が投げた桃は、邪気を祓うとする中国の思想の影響か。平安時代の宮中の追儺の儀式で桃の木を使うのもこれに由来する。又、桃に縁の深い吉備の国の援軍に伊邪那岐が助けられたことを指すとも言う。

以上この黄泉の国での戦闘は何を物語るのか。邪馬台国成立以前の倭の国は、後漢書「東夷伝」にあるように「倭国大乱」の時代であり、伊邪那美も出雲地方のクニの王であり、これとの戦闘を表わしたとも言われる。この後、出雲にも王国が成立し、吉備のクニと共に、九州から東遷したヤマトのクニへの大きな影響力を保持する。

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2009年3月 7日 (土)

車中の読み物

 ウオーキングコースに書店がある。この書店は今時の大型書店ではなく、極くこじんまりした店で、日常的に気楽に読む本は大概揃っている。
 従って、ちょっと気楽に読みたいときの本は殆どここで買う。列車で遠くへ行くときとか、夕食後寝るまでの時間つぶしように読む本である。

 だからここで買う本は寝転んでも読めるように、文庫本や新書版の本が多い。ジャンルは時代物(気楽に読めるチャンバラ物)が殆どで、たまに、推理物や謎の云々のタイトルのもの、出来るだけ苦労せずに健康になれる類のハウツーものなど等。

 この結果一番多くたまっているのは、佐伯泰英のシリーズ物(居眠り磐音、酔いどれ小籐次、交代寄合伊那衆など)(現在も続刊中)、池波正太郎のシリーズ物殆ど、白石一郎、ちょっと気楽には読めないのもあるが、司馬遼太郎の殆ど、藤沢周平の主なものなどである。最近はすこし趣を変え、鈴木英治のシリーズ物も加わった。

 年と共に、段々気楽な物へ流れると同時に、文字の大きいものでないと疲れるようになった。そんなことで、今日は始めての作家だが山本兼一著「火天の城」を買ってきた。信長の安土城建築に取り組んだ人たちの話だそうだ。読了すれば感想を書こう。

 勿論私も結構小難しいものも読んでいるが、大概必要に迫られての読書で、肩がこる。

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2009年3月 6日 (金)

古事記を読む(4)

国生みと神生み

 《あらすじ》

 『神代七代の最後に現れた伊邪那岐命、伊邪那美命に対し、天つ神が「この漂える国を修め理(つくり)固め成せ」と命じて、天の沼矛(ぬぼこ)を授けた。

 二神が天の浮橋(地上への架け橋)に立って、矛で潮をかき混ぜ引上げると、矛先から落ちる潮でオノゴロ島が生まれた。二神はこの島で夫婦の契りを結び国生みをした。最初の子は水蛭子(ひるこ)(不完全な子)だったので海に流し、次の淡島も認めなかったが、高天原の神々と相談し、次の八つの島々を生んだ。
・淡路島・四国・隠岐・筑紫島(九州)・壱岐島・対馬・佐渡島・大倭豊秋津島(本州)

更に六つの島(児島半島、小豆島、山口大島、大分姫島、五島列島、長崎男女島)を生み、国生みを終わる。

 次いで、両神は合わせて35柱の神々を生んだ。この神々は水、海、川、樹木、風など自然現象を司る神々や農耕、漁業、航海を司る神々である。
 伊邪那美は最後に火の神「カグヅチ」を生み、火傷をして臥せり、吐しゃ物や便からも神々を生み、ついに亡くなり、黄泉の国に行ってしまう』

 さて、これらの国生み、神生みはどんな史実と関連し、どんな意味があるのか。
先ず、国産みの場合、西日本のほうから東方へ海洋沿いに進み、最後は秋津島である。それは、これらの神々は多分海洋民族であり、任那にいた民族が日本に渡来し、関東の方へ移動していった径路と略同じであると言われ、これが神話化されたと見られる。
 津島は愛知県の津島をを暗示し、三河湾や矢作川河口には特有の前方後円墳があり、早くから海洋民族の部族国家が形成されていたと思われる。

 又、オノゴロ島とは朝鮮半島の南の巨済島のことで、イサトノ島と呼ばれ、古代部族国家の都があったとされる。更に時代が進み、これが糸島半島に移され伊都国となったという説もある。

 次にイザナミが亡くなる前に吐しゃ物から生まれた神々の名は木、火、土、金、水に因むものがついており、五行思想の影響を表しているとも言われる。
 またイザナミの死は、出雲地方に金や鉄が産出し、それの争奪による戦闘の結果死亡したとの説もある。

 尚、最初の子が水蛭子であったことは、兄妹相姦タブーを伝える話ではないかと言われる。同様の話は中国南部やアジア全体に広く伝わっているという。

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2009年3月 5日 (木)

桜の開花予想が出た

 桜の開花予想が出た。熊本15日に続いて福岡17日とか。更に関西東京が25~26日。こんなに早いのは初めてではないかと思う。昨年は関西関東は略今年と同じであったと思うが、福岡が28日、更に鹿児島が30日位であったと思う。
 何故暖かい方が遅いのか不思議であったが、聞いてみると、ずーと同じ位の気温が続くと、桜は春を感知せずにまだ春とは思ってないので咲かない。その点やや寒くても、急に暖かくなれば、それ春だ!と花を咲かせるのだそうである。
 この伝で行けば先日雪の降った東京の方が、ヒョットすると、今年も福岡より早く咲くかも知れない。

 そんなことを思いながら、今日は庭の世話をし、松の木には元肥、山茶花にはお礼肥のつもりで、根の周りに油粕を入れてやった。勿論元肥には時期的に遅すぎる。お礼肥えの方はまだ花がついてるので早すぎるのだが、面倒なので一時にやってしまった。
 こんなずぼらなところが、庭木がよく成らない原因であることはよく承知しているが、気の向いたときでないとなかなか腰があがらない。

 しかし、今年こそ毛虫に庭木がやられないように早めの殺虫剤は是非散布しようとは決意しているのだが・・・・。

 

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2009年3月 4日 (水)

古事記を読む(3)

天地の創造

 愈々今回から古事記の内容に入ります。
《あらすじ》で、古事記の本文の概要を紹介し、そのあと、歴史的事実との関連ある事項や話題を取上げます。

《あらすじ》
 『この物語は「天地
(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、天御中主神(あめのみなかぬしのみこと)。・・・」で始まり、この世の創生から説き起こしている。
 続いて、二柱あわせて「造化の三神」が生まれる。このとき国は若く、脂が浮いているようで、くらげのように漂っていた。そのあと二柱、計五柱の神が成り、何れも独身で、姿を現さなかった。これら五神は別格とされ、別天津神
(ことあまつかみ)という
 続いて二柱、更に五組の神が成り、最後に伊邪那岐神(いざなぎのみこと)と伊邪那美神(いざなみのみこと)で、合わせてこれを神代七代という。』

 古事記は天地の創造から説き起こされており、先ず造化三神が現れ、続いて七神が現れたが、何れも姿を見せることなく、全くの「神」としての記述で終わっている。

 実際にこの世(国々と神々)を創るのは、伊邪那岐と伊邪那美からである。
 神々が現れた高天原とは天上の世界と解されている。但し、新井白石のように常陸の国多珂郡の海上と特定する説もある。尚、日本書紀には「高天原」のような「天上の世界」を想定した記述はない。

 又、この時代(神代)を、日本が朝鮮半島の任那(みまな)と関係が深かった古代の頃のことと想定する人もいる。後に現れる天皇は朝鮮半島からの渡来人(というより、弥生時代には半島南部を含めた地域が「倭」のクニであったとする説がある。現代の国家観やクニの領域感覚は通用しない。)である可能性が高い。

 尚、最初に現れた神の名は「天御中主神」で、物の中心の意とも考えられるが、音からは「任那主」のことであり、その後の神々の名も朝鮮半島との関係が深いこと現しているとする説がある。

 

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2009年3月 2日 (月)

春が来た

 歩いていると、そこはかとなく沈丁花の香りが漂って来る。私は沈丁花の香りが好きだ。
今日も出来るだけ町並みを外れて、田んぼや畑、林や池が見える路を選んで歩く。

 つい先日まで、寒そうにじっと佇んでいた鷺が、池の中を時々歩きながら、水面に嘴を入れる。そうなのです。水中に鷺の餌になる小魚か小動物が泳ぎ始めた証拠です。

 春が来た!と実感できるのは、昨日行われた大宰府の「曲水の宴」の報道を見たとき。水仙の花があちこちで見れる様になったとき。
 そして何よりまだ風は冷たいものの、日差しの中にいると、柔らかい日差しに心が和み、つい空を見上げる。青空に白い雲がゆっくりと流れ、遠い山が霞んで見え、何故か心も身体も浮き立って来る瞬間だ。

 私はこの春を捉えた瞬間が1年のうちで一番好きである。

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