2012年5月25日 (金)

木々の花Ⅱ(白い花)

 花木でない木にも勿論花がついている。そんな花には興味もないであろうが、滅多にご覧にならないであろうから、ウオーキング中たまたま見かけたものを紹介しておく。
Photo  ナツミカン(夏蜜柑)。当地では、戸建ちの庭先には大抵夏柑が植えられている。江戸中期、萩に近い青海島(山口県)に漂着した橘の種を西本於長が育てたのが起源とか。萩藩は栽培を奨励したので、今でも萩には夏蜜柑沢山植わっている。
Photo_2  タマツゲ(玉柘植)。ツゲの木に花が咲くことを知らない人も多いのでは? 写真の花の径は2-3mm位。葉も5-8mm位だから、その気で探さぬと判らぬ。花後には赤い実をつけるというが、これもよく知らない。
Photo_3  レモン(檸檬)。当地でもレモン自体はあまり見かけないがこの木は毎年実がなる。毎年実がなる頃よく注意してみるが、花は知らなかった。尤もこの木には既に実もついている。手前の丸い緑がレモンである。花期が長く順次実が付いてゆくようである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月24日 (木)

倭国の興亡118: 大化改新の外的要因・中国と半島

 高句麗遠征失敗によって隋は滅亡し、代って618年唐が成立。翌年には高句麗が朝貢し、621年には新羅・百済を加え三国が朝貢して、624年には揃って唐の冊封を受けた。そして半島三国の抗争は次第に激しさを増してくる。
118  この抗争が三国の内政に跳ね返り、642年頃から各国共に権力集中が進む
 この年、百済の義慈王は突如新羅を攻め大勝利を得た。その勢いで高句麗と手を結、王弟や政府要人40人を追放。国王の独裁体制を敷き、権力集中した。
 高句麗でもその年、権臣泉蓋蘇文がクーデターを起こし、栄留王と百余人の重臣を殺害して、王弟の宝藏王を擁立。実権を握った泉蓋蘇文が国政を支配した。。(図は七世紀の東アジヤ
 新羅では善徳女王のもとで、王族の金春秋と重臣金庾信体制が政権を支えていたが、642年に百済に惨敗し、高句麗の攻撃を受け苦境に立った。翌年唐に救援を求め、唐の一族を王にすれば、支援するとの難題を突き付けられる。647年善徳女王は急死し、真徳女王が後を継いで金春秋・金庾信体制が確立する 新羅の要請を受けた唐の太宗が高句麗を説諭したが応ぜず、644年末唐は十万の大軍を派遣し高句麗を攻撃、翌年には太宗自ら大軍を率いて遼河を渡った。しかし、高句麗の守りが堅く、646年から3年間に亘り出兵したが、太宗が亡くなり、高句麗征討は失敗に終わった。半島三国の抗争に唐が介入し、激しい戦いが増幅されて行く。

 倭国改新クーデターはまさにこのような時期にあたっており、蘇我蝦夷・入鹿親子の独裁体制が敷かれ、権力の私物化が進む中で、半島情勢に迅速な対応が取れないこの焦燥感が中大兄皇子ら反蘇我派にクーデター決行を決意させ、更に支配層権力の一元化を核とした改新政権の諸政策の方向性を規定する要因になった。即ち、中国・半島情勢が大化の改新の大きな外的要因ともなったのである。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月22日 (火)

次々開花の可憐な草花

 昨日の金環日食で列島は湧いたが、今日はスカイツリーの開業。人間は古代より如何に高い所に上りつこうかと考えたが、未だにこの高所志向は止まってない。作家・曽野綾子さんは今春久しぶりに帰国し、これを見て「なんだあの見苦しいものは?」と驚いた由。
 今日はそれと反対に地面に隠れるように咲いている可憐な草花を紹介
Photo  ヒメヒオウギ(姫檜扇)。似た名前の「姫檜扇水仙」と云う草花もあるがこれは別物。南アフリカ原産の文目(アヤメ)科の花。白色もあるが、花弁の下3枚に赤班がある花径約2cm位の小花。こちらを向いて咲いているようでうれしい花だ。
Photo_2  サクラソウ(桜草)。野生のものは全国的に分布している。江戸時代に育種が進み、数百種の品種がある古典園芸植物。4月頃より咲始め、今も咲いている。1cm未満の小花が集合している。
Photo_3  オオトキワツユクサ(大常盤露草)。南米原産、昭和初期に園芸種として渡来。これも花径2cm弱の小花だが蕊が毛のように出ていて大きく感じる。今は完全に野生化している。繁殖力が旺盛で、庭植えすると庭に広がってしまう由。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年5月20日 (日)

 風に揺れてる草花(紫の花)

 今、野田首相はG8でワシントンにいる。日本の総理が国際会議でリーダーシップを取ることが出来なくなって久しいのではないか。米国、中国、EU諸国夫々が個別の緊急課題を抱えている事も影響しているだろう。先ずは国内課題取り組みが緊急事だ!
 美しい花々が咲き乱れている。今日は草花の中で青紫色の花を取り上げる。
Photo  ゼニアオイ(銭葵)。欧州原産。江戸時代に渡来。似ている「マロウ」の変種。当初花が一文銭の大きさだったのが名の由来。葵は葉が太陽に向く「仰日」(あうひ)からの名。京都の葵祭りや、徳川の家紋は「双葉葵」でこれとは別種。
2  ムラサキツメクサ(紫詰草)。別名アカツメクサ。これも欧州原産。牧草として導入された。オランダからガラス容器輸入の際、乾燥したものが間に詰られてきた故の名前。便秘、咳、痰、強壮にも薬効があるとか。
3  マツバギク(松葉菊)。葉が松葉に似て、花が菊のようなところからの名前。蔓性で、横に伸びるのでグランドカバーに使われる。挿し木で増やせる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月19日 (土)

倭国の興亡117: 上宮家の滅亡と蘇我氏の専横

 舒明天皇が641年に没し、翌642年舒明の大后(妃)の宝皇女が即位し女帝・皇極天皇となる。皇極即位は山背大兄王(太子の子)の即位を阻止し、古人大兄(中大兄(天智天皇)の異母兄弟)の即位の芽を摘まぬためであった。
 慣例により蘇我蝦夷を大臣に再任したが、実権は既に蝦夷の子・入鹿が握っており、この頃からその專横ぶりが目立った。蘇我氏の祖廟を葛城の高宮に建て、中国では天子だけが行える「八佾(ヤツラ)の舞」をしたり、挙国の民を徴発して蝦夷・入鹿親子の墓を造り、大陵(ミササギ)・小陵と呼んだ。など、大王並みの僭越な振る舞いをしたと「書記」にある。誇張があるにせよ蘇我氏は横暴になり、次第に孤立化していったのは事実だ。こんなところから、「蘇我氏は大王だった」説が生まれている。
117  
643年蝦夷が病気になり、朝廷に出仕しなくなると、勝手に入鹿に大臣の紫冠を授けて大臣になぞらえるなど、入鹿の専横ぶりは増長した。
 入鹿は上宮王家の王たちを排除し、古人大兄を大王にと咲く策謀し、巨勢徳太臣等に斑鳩宮の
山背大兄王を襲わせた。大兄王は難を逃れ生駒山に逃れたが、斑鳩宮は炎上した。争いを避け、斑鳩寺に入った大兄王は入鹿軍に包囲され、遂に子弟・妃妾らと共に自ら命を絶った
 これを聞いた蝦夷はとんでもない愚か者と入鹿を罵ったが、不安は的中し、
入鹿はにわかに人望を失った。(蘇我入鹿暗殺の場となった蘇我氏邸宅跡である)。

 644年蝦夷・入鹿親子は飛鳥の甘樫丘に建てた蝦夷の家を「上の宮門(ミカド)」、入鹿の家を「谷の宮門」といい、子供を王子(ミコ)と云ったという。自分たちを大王になぞらえた専横ぶりだった。
 一方では、周囲に城柵を巡らし、要塞化して、武器庫や防火用水を設け、武人に警護をさせる物々しさだった。
人望が消え敵が多くなって、クーデターは直ぐそこであった。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月18日 (金)

木々の白い花

 折角の五月晴れに、鬱陶しいニュースばかり相次ぐが、今日の新聞に対馬の天然記念物「ツシマヤマネコ」の子猫4匹が見つかったの報。絶滅危惧種で、数が減っている時の朗報である。野山はすっかり若緑だが野草や樹木は花一杯である。今日は木の白い花を紹介
1  ハクチョウゲ(白丁花)。横から見た花が「丁」の字になっているところからの名。よい香りの小さな花(1cm位)だが、なんとも可憐な花だ。葉も小さく、枝が密になるのと、刈込や病害虫に強いので生垣に使われている。沈丁花とは無関係。
1_2  シャリンバイ(車輪梅)。花がモッコクに似ているので、ハナモッコク(花木斛)とも。枝が輪生で、花が梅に似たからの名前。これも、丈夫な木で生垣によく使われている。これは原産が日本・朝鮮だそうだ。
2  ノイバラ(野茨)。ノバラ(野薔薇)ともいうことがある。これも、日本、朝鮮、台湾に自生するという。果実が漢方に使われ、利尿、解熱、解毒剤として用いられるそうだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月16日 (水)

五月日和が続く

 今日からプロ野球、交流戦が始まるのに、TV放送がない。相変わらず巨人中心なのか。空気が乾燥して、暑すぎないそよ風が吹く絶好の日和が続いている。4月に続き、次々と草木は新しい花々を見せてくれる。今日ちょっと珍しい草花を見たのでそれを載せた。
Photo  アリウム・ロゼウム。ネギやニンニクと同じアリウム(ネギ科)の仲間。彼岸花と同じように長い花茎の上に小さな花(1cm未満)をつけている。花の分岐点にある赤紫色の玉ムカゴ(珠芽)と言い、ネギ科につき易いもので、種子ではない。近くの草叢に数本あったが、園芸種である。
Photo_2  コンボルブス。ヒルガオ科の植物で、和名は三色昼顔。これは民家の庭先にあったが、日本には園芸用として明治時代に入った。地面を這うので、グラウンドカバーに用いられる由。
Photo_4  センダイハギ(先代萩)。伊達騒動を題材にした歌舞伎の演目「伽羅先代萩」に因んでの名前。ハギの名があるが、萩とは別種のマメ科の植物。日本北部に多いというが、これは近くの公園の草叢に群生しているもの。
 (訂正):5月8日に掲載した「ツルボ?」とした植物名は「ヘラオオバコ」でした。謹んで訂正します。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月14日 (月)

倭国の興亡116: [異説] 舒明天皇の出自は百済王族か

 舒明天皇は『書記』によれば、敏達天皇の孫・押坂彦人大兄皇子の皇子とされている。ということは駕洛国(任那)の最後の王であった仇衡(クヒョン)王の成り代りである欽明天皇の曾孫である筈だ。ところが、舒明は百済川(大和)の川辺に百済宮や百済大寺を建てたり、百済武王の次女・宝皇女を妃に迎えたりした百済系の天皇と云われ、書記記述とは一致しない。即ち書記記述が疑わしい
116_1  舒明の諡号は「オキナガタラシヒヒロヌカノスメラミコト」であり、タラは百済系の加羅族の国であった「多羅国」出身の蓋然性も大きい。だが百済系の王族が倭国に渡ってにわかに倭国王にはなりえない。
 そこで、倭国に縁のある百済王族を探すと推古紀に597年百済威徳王の太子である「阿佐」が渡来している。阿佐はもと王世子であったが渡日していたので王位を継げず叔父である恵王に王位を奪われた。

 阿佐が舒明に成り代るまでに31年を要している。その間彼は田村皇子の名前で、百済系である大臣蘇我馬子と協力して、当時の皇太子であった駕洛国系の聖徳太子とその母を共に殺害して、駕洛国(任那)系の推古天皇(欽明の娘)が628年に亡くなるや聖徳の子である山背大兄王と王位を争い天皇に成り上がったと推定できる。そうであれば、60歳前後で天皇になり、13年間在位して70歳余で亡くなったことになり、諡号の初めの「息長(オキナガ)」に釣り合う天皇といえる。

 以上総合して、舒明天皇は百済の威徳王の王世子であった「阿佐王子」の成り代り説である。(以上:韓国、言語学者・姜吉云「倭の正体」より)
 尚、この当時、倭国の大王の王族は半島特に百済王族と非常に近しい関係にあり、血縁的にはかなり強い繋がりがあったと思われる。だからこそ、多くの技術者や学者が渡来し、又倭国文化を押し上げた多数の工人たちの渡来があって、革命的に倭国文化を進展せしめたものと考えられる。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月12日 (土)

薫風爽やか

 今朝は寒い感じがしたが、晴れ上がり気温が上昇して、実に爽やかな快晴となった。緑が徐々に濃くなるとともに、花の変化が早くなり、つい先だって咲いた花がもう実をつけている。つい体を動かしたくなる季節になって来た。その中の花々以下の通り。
Photo  ブルーデージー。南アからイギリスに入り日本に来た、キク科の花。種類が多い。似ているデージー(雛菊)とは別種ながら、ルリヒナギク(瑠璃雛菊)の別名がある。開花期は春から夏までと長い。すっきりした青色がよい。
Photo_2  スパラキシススイセンアヤメ(水仙文目)の別名がある。球根植物である。花の色や花弁の形状が多種ある。最近よく庭先に植えており、これも道路に面した庭のフェンス際に植っていたものである。
Photo_3  ウメモドキ(梅擬)。モチノキ科で、モチノキに実も似ているが、葉の形が違う。葉や枝ぶりが梅に似ているところからの名前というが、余り似てない。この実は小鳥のおなかを通過しないと発芽しない云う。遠方まで種が広がるようにとの神様の悪戯か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月11日 (金)

よく目に留まる五月の花

 小沢一郎氏、一審無罪であったに拘わらず、指定弁護士(検察官役)は控訴を決めた。強制起訴での判決であり、2審有罪の可能性は極めて少ないとされる中での控訴であり、可なり批判も多いようだ。裁判の有り方への批判も出ている。
 突風や、竜巻、季節外れの雹など、天変地異の予兆のような不安地球だ。そんな中、今日は至って平凡な、近頃目に付く花を載せた。
Photo  エゴノキ。北海道から沖縄まで全国の雑木林に見られるというが、最近庭木として植えている家が多い。果実を食べると「えぐい」ところから来た名前。下向きの花は芳香があり、長さ2cmほどの楕円形の実をつける。
Photo_2  ハルノノゲシ(春の野芥子)。最近道端で一杯花を付けている雑草。芥子と全く関係ないキク科の花。早春の若い葉は食用になるが、全草乾燥しても健康茶になる。
Photo_3  シラン(紫蘭):これこそどこの庭にも植わっている。これは日本も原産国だそうだ。群生しておればなかなか見ごたえがある。球茎は、止血、ひび、あかぎれに薬効がある。最近は白い花も植えられている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«倭国の興亡115: 幻の百済大寺遺跡発見